月別アーカイブ: 2015年6月

雨のせとうち

雨の瀬戸内は匂い立つ

雨とともに訪れる風を合図に疼いたように揺れ動く

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そのとき「海は荒れている」ではなく

嬉々として うねり 湧き立ち 踊り出す

 

途切れることなく立ち上がり膨らみあっては
どっぷんどっぷん重なり合って

漣が引いていく姿に 目を奪われるばかりか

引き込まれ 飲み込まれ まるごと揺らめき

波の奥に潜む生々しさを感じるばかり

 

晴れて静かな瀬戸内はやさしいけれど

雨の瀬戸内は祭りのように匂い立ち

いのちの何かが湧き上がる

 

静けさと生々しさと

生きている海の気配しか感じることができない私たちは

時折その奥に隠された「匂い」に弄ばれる

 

時計の針、月の満ち欠け、初めての一人旅。

すっかり日が伸びて19時というのにまだまだ明るい。
ついつい一日の時間が延びているような錯覚に陥ります。

ほんとうは同じ24時間。
でも少しずつ、ほんとうはずれていて、4年に一度の閏年という調整日があったりなんかして。
月の満ち欠けや星の動きに頼らず時計の針、液晶の画面ばかりに頼るようになってしまうと、自らが持ち合わせている体内時計のあてにならないことすさまじく。

時計の針を持たずとも、年間のこの時期、このタイミングで、お互いに示し合うわけでもなく、活動したり、移動したり、産卵したり、している生き物たちは時間の流れをどのように感じて行動しているのかなぁ。と不思議でなりません。

 

わたしは特に自分のなかのリズムに鈍感な人間なので、より一層。
文明から放り出されたときに、生物としての危うさをひし・ひしと、感じたりなんかして。

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蛇と蜘蛛

蛇を見たことがあるでしょうか。

薄ら暗い軒下のあたりや、石垣の隙間のようなところにはよく

脱皮した蛇の抜け殻があったことを覚えています。

 

蛇という存在を悪しきもの、邪なるものとして、神話や民話の中に登場させる姿もあれば、

ニシキヘビのように、一家の軒下に一匹いると、その蛇が家の守り神として

大事に、受け継がれていく場合もありました。

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地方再生とアートのつながり

夏のイベントを調べる機会にさしあたり、いろいろと調べていると、気になるイベントに出くわした。

人口15人、わずか8世帯で秋田県内で最も人口が少なく、高齢化・過疎化・空洞化の進んでいる上小阿仁村(かみこあにむら)八木沢地区を舞台に今年4回目を迎えるイベントらしい。

秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト

KAMIKOANI プロジェクト秋田2015「ただ、ここに、在り続けたい。」

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画像:KAMIKOANIプロジェクト秋田

どうして気になったかといえば、「ただ、ここに、在り続けたい。」というメッセージが、あまりに切実すぎると感じたからかもしれない。 続きを読む

手から手へ。

とてもあたたかな場所を訪ねた。

どっしりとした風格にやわらかな安定感。

いかにもといった主張を感じることもなく、腰を下せば

ただただ穏やかにくつろげる。

 

安心と安定と、しずかな味わいのある、とてもあたたかな場所だった。

 

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民藝と、エネルギーからつながるユートピア

すばらしい一冊の本に出会ったとき、その本はいつ書かれたものであるとか、著者の生まれた西暦から今現在を逆算し、生きていれば何歳。であるとか、何百年も遡った時代から、すでにこんなことが考えられ、憂い、変化させようと行動にあたる人たちがいたんだ。ということに直面し、気づかされ時、どうしようもなく多くの感情がうごめきだしたりする。

最近いろいろな方面から、生き方・働き方・暮らし方・住まい方、大きな資本や産業革命が押し寄せてくる以前の各地域に根付いていた人々の暮らしの在り方について、興味を喚起される機会が多く、それにまつわる本を開いてみたり、話をきいたりしているのだけれど、その中で、とくに掘り下げてみたいと感じたひとつが『民藝』という切り口だったりもして。。
知識がないなりに自分で考え、それについて書かれたものを読んだり、触れたりしていく中で感じることは、『民藝』の「民」に当てられた「民衆」という価値観が今ではほとんどその当時使われていたのと同じようにはイメージできないということ。 続きを読む

「金継ぎとつなぎ場とBUKATSUDO」トークを聴いて。

先日、横浜「街のシェアスペース BUKATSUDO」で行われた ナカムラクニオさんと、内沼晋太郎さんのトークに参加して。そこで話された内容と、そこから感じたことをまとめていきます。

前回参照:BUKATSUDOの文化祭。勝手に潜入レポートの巻。

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BUKATSUDOのつなぎ場の一部。

はじめにナカムラクニオさんについてですが、わたしが一番はじめにナカムラさんの存在を知ったのは、屋久島ナイトの行われた2011年か12年ごろだったと思います。その頃はまだ、6次元という場所がどういう場所であるのか、ナカムラさんがどんな活躍をされているのか知ることもなく、以前屋久島でガイドを担当していただいた小原さんが講師にいらっしゃる。とのことで参加を決めました。 続きを読む

BUKATSUDOの文化祭。勝手に潜入レポートの巻。

昨日、横浜の造船ドック跡地に昨年6月にオープンし、1周年を迎える街のシェアワーキングスペース「BUKATSUDO」の文化祭なるものにふらっと立ち寄ったので、その時の模様を勝手にお伝えします。

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というのも、ここの存在はオープン当時から知っていたけれど、きっかけがなく実際に足を運んでみよう!というところまで気が進まなかったというのが実際のところ。 続きを読む

夏の予感と、つぶつぶ暗いクラムボン。

東京に出てきたばかりで、あまりにも不安げに頼りない日々を過ごしてきたことを思い返しながらも、この季節になると必ず、振り返らずにはいられない曲がある。

まだまだ涼しい夜風には少しずつ湿気の気配が高まり、これからさらに湿度が高まり、あのうだるような夏が来ることを思うと、待ち遠しいような、少しこわいような、なんとも浮ついた心持ちになる。 続きを読む

音楽の聞こえるほうへ。

6月の末に、四国と瀬戸内へ旅に出ようと思っています。

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きっかけは以前、荻窪6次元で行われたイベントでお知り合いになった(なんていうのはとてもおこがましいのですが…)ignitiongalleryとして活動されている熊谷さんの企画するイベント、翻訳家・柴田元幸『MONKEY vol.6』刊行記念朗読ツアーに惹かれてしまい、行きたいと思ったからです。
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流動し、変動しつづけるものたち

中沢新一さんの著書、『純粋な自然の贈与』の中でインディアンの思考法について記された内容が印象的だった。

”インディアンの思考法では、贈り物は動いていかなければならないのである。贈り物といっしょに「贈与の霊」が、ほかの人に手渡された。そうしたら、この「贈与の霊」を、別の形をした贈り物にそえて、お返ししたり、別の人たちに手渡したりして、霊を動かさなければならないのである。「贈与の霊」が動き、流れていくとき、世界は物質的にも豊かだし、人々の心は生き生きとしてくる。だから贈り物は自分のものにしてはならず、たえず動いていくものでなければならなのである。(中略)
ところが、ピューリタンはそれを暖炉の上に飾ったり、博物館に収めたり、貯めたりする。(中略)インディアンにとって、それはまことに不吉の前兆だった。大地と人のあいだを動き、循環していたなにものかが、とどこおり、動きをとめていく。そのかわり、そこには個人的な蓄積が、将来の増殖を生むという、別種のデーモニックな力が、徘徊していくことになる。それは人々の物質的な暮らしは豊かにするだろうが、魂を豊かにすることは、けっしてないだろう。なぜなら人間の魂の幸福は、つねに大地を循環する「贈与の霊」とともにあるものなのだから。”

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今しかない、時間がない、行くっきゃない?…

昨日、渋谷公会堂で行われた高城剛トークライブ!★★読者大感謝祭★★「旅は、人を幸せにするのか?」に参加してきました。

はじめに断っておくと、わたしは高城さんのメールマガジンの購読はしておらず、今のところ彼の著書も読んだことがありません。高城さんの熱心なファンである友人から誘っていただき、今回初めて『高城剛』という人に触れてみたという感じです。

なので中心からは遠く離れた場所、どちらかというと対極的な位置から感じたことをいくつか掻い摘んで書き残してみようかなと思います。 続きを読む