「寂しさは何処からくるの?」彼女は言った。
「寂しさは、あたたかいところからやってくるんだよ。」と、誰かが答えた。
「あたたかいって、どんな感じ?」彼女は聞いた。
「あたたかいって、お母さんのお腹の中みたいな感じ。」僕は言った。
「寂しさは何処からくるの?」彼女は言った。
「寂しさは、あたたかいところからやってくるんだよ。」と、誰かが答えた。
「あたたかいって、どんな感じ?」彼女は聞いた。
「あたたかいって、お母さんのお腹の中みたいな感じ。」僕は言った。
あたたかな日差しが注ぐ午後の帰り道、1本の傘を買いました。
長い傘を片手に、いい季節になったなぁと春うつつ。
ぼーっと電車の手すりに預けたが最後。
ついさっき買ったばかりの青色に淡いピンクと白色が混ざったその傘は、電車に揺られ、どこか遠くの駅まで運ばれていってしまったのでした。
連休を目前に、世の中は少しばかりそわそわムードになっていますでしょうか。
せつせつ。そわそわ。。。
大型連休。南か北か、ちょっとしたお出かけも、計画なしには一苦労の民族大移動行事、ですね。
長く続いた雨もひと段落したようで、ようやく、安心して軽やかな素材の洋服を身に纏い、外にお出かけ出来そうな予感に、むくむく・わくわく・と、心が弾んでいます。 続きを読む
今月号の『熱風』で” アフリカのいま ”という特集が組まれていた。
わたしの中のアフリカ像といえば、自分が暮らしている場所からはあまりにも遠く、そこで暮らす人々よりも先に、サバンナなど野生に生きる動物のイメージが進行してしまう程なので、アフリカについて知っていることはほぼ皆無。普段当たり前のように” アフリカ ”と見聞きすることはあっても、実際の” アフリカ ”を一括りにするのはあまりにもナンセンスだった。
その大陸面積はヨーロッパ全土と中国を足したものよりも広く、54ヵ国の国々から成り立っており、そもそも国としての「アフリカ」など存在しないということの不思議と、今なお文明が手付かずの夜には色濃い闇の世界がそこには多く残されているという未知への憧れ。
一体全体、みんながいう「アフリカ」ってどこを指す?・・・という疑問からの出発。 続きを読む
みるみる減っていく水かさを、どうにかしたいと考えたとき、
目減りしていくものをどのようにして止めればいいか、立ち止まって悩んでいては手遅れで、
其処に溢れていた水を、後になって取り戻すことはむずかしい。
いつまでもそこからこんこんと、湧きだしていたら良いのだけれど、
万物はあくまでも限りがあって、生き絶え、いづれ根も尽きる。
限りがあることを知ったから、いつかどこかの誰かが、井戸に水を貯めておくことを考えついたのか、どうにか自らの手で、その溢れや乾きを管理したいがためにダムのようなものを築き上げたのか。いずれにしても、水というものをコントロールすることはとってもむずかしい。
言葉と水はよく似ていて、実体が掴みきれない上に、言葉もよく氾濫するし、乾いてカラカラになったりもする。
適度な水分補給じゃないけれど、ちょうどいい具合に言葉の栄養を蓄え続けることはなかなか容易じゃない。
油断しちゃならないことは、企みを背負った言葉は時折身体をすり減らすということ。
立ち止まっても仕方がないので、せっせと井戸を掘り、根っこの部分をよく噛んで。
水分をしっかり蓄え、滋養に富んだ言葉を糧に少しずつ立て直す。
中條 美咲
この季節、街中の至るところに咲いている椿の花に目が留まる。
枝を埋め尽くすように満開に開く姿もそれは艶やかで見ものだけれど、わたしはどちらかというと枝から見事なまでに落下した「落椿」に目がない。
その光景を目にするたびに足を止めて記憶ばかりか記録に残したいと強い衝動に駆られてしまう。
椿であれば、蕾がほんの少し開きかけて光と影を身に纏っているときか、このようにあっけないほど見事に落下した姿に驚くほどこころをかき乱されたりするのだから、散ってなお彼女たちが放つエネルギーはあなどれない。 続きを読む