今日で締め切りの、村上さんのところ。せっかくの機会なのでひとつくらい質問してみようと画策していたら、すっかり日が暮れてしまった。
お返事がきたらとてもうれしいし、来ないとしてもメールの全てに目を通されるとのことなので、一瞬ばかり。ふたりの間に個人的な共有が芽生える(可能性もある)ということを都合よく想像してみては、随分ロマンチックで素敵なこころみに感謝。 続きを読む
批評の価値はどこにどの程度あるか。そんなことは考えるまでもなく、世の中には批評や批判が溢れている。
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小林秀雄さんの本を読んでいると、どれほど広い視野で、かといって常々高い所から、全体を見渡すばかりの客観的な姿勢に偏らず、どこまでも冷静な主観的意思を持って、真っ正面から踏み込んでいて、物事の真意やそこに込められた意図するところを汲み取りながら、真の理解を深めようとしている様子が伝わってきて・・・
わたしはただひたすらに脱帽し、膝を折り、地面にへたり込んで仰ぎ見るようにしながら彼の言葉を少しでも多く、この身体に染み込ませたい!ととても強く望むのだった。
大袈裟かもしれないけれど。こんな人がかつて世の中に存在したと思うだけで、当時を共にした多くの(敏感な)発信者や表現者たちは、身を引き締め、背筋を整え、心してその仕事(生き様)に取り組んでいけたのではないか。適度な緊張感もありながら、どこか安心感もある。そうしてその結果、とても真摯な担い手が生まれてくることに少なからずつながってきた。
そんな想像を繰り広げながら、1974年に発刊された「考えるヒント」を読み進めていった。
タイトルにもあるように、「考える」ということについて、あらゆるポイントから筆者はこちら側にその可能性を投げかけてくれる。 続きを読む
みなとみらいの映画館、109シネマズMM横浜の閉館が今週末に差し迫っている。
閉館に伴って過去10年間に放映された作品のリバイバル上映が行なわれているのでひょいひょいと自転車を走らせて、行ってみた。
スタッフさんおすすめの16作品はどれもワンコイン(500円)で観賞できる。一日一回のみの上映で最終日の25日まで時間を入れ替えて開催されているようなので気になる作品がある方は散歩がてらに少しだけ、横浜まで足をのばしてみても良いかもしれない。
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『チョコレートドーナツ』と『ミッドナイト・イン・パリ』どちらにしようか迷ってなんとなくの直感で後者にした。
今回は芸術のパリ・愛 −amour –のパリの魅力をその世界に入りきったつもりになって、綴ってみたいと思う。 続きを読む
わたしには現在、ふたつの家族がいる。
ひとつは成人するまで育ててくれたわたし自身を含んだ家族。
ふたつ目はわたしが結婚した相手の家族。
いままでひとつだけだった家族が、結婚を機にふたつに増えた。そしていずれは3つめの家族を、今度は自分たちで作っていくのだろうと思っている。
それは3つめでもあり、1つめと2つめの結びつき、延長でもある。
結婚したことで夫婦にはなったけれど、ふたりではまだ家族未満。家族はじぶんたちの力で少しずつ少しづつ、”成っていく” ものなのだと知った。
意識しなくても自然と家族になれてしまう人が大勢いる中で、わたしは「家族になる」ということを必要以上に考えてしまう。
そんな不器用というのか要領の悪い存在だからこそ、家族になる前段階の今からじっくり、家族について考えてみたかった。
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読みたくて迷っていて、やっぱり読もうと購入をした雑誌、「考える人」。
表紙の写真があまりにも言い得て妙。
そして気になるテーマはずばり「家族ってなんだ?」 続きを読む
人と話すときの自分。人と話さないときの自分。部屋に一人きりのときの自分。家族や恋人と一緒にいるときの自分。
思春期の頃はよく、本当の自分は何処にある?なんて考えてみては、これもちがう、あれも違う。本当のわたしが出せるのはここじゃない、ここしかない!なんていう思い込みを、うんざりする程繰り返していた。
だれも本当の自分など分かってくれない。きっと伝わらないだろう。変わっていると思われたくないからそれらしく辻褄を合わせておこう。・・・・頻度は減っても、今でも時折そんな妄想にとらわれては、借り物の言葉を発してみたり振る舞ってみたりして、そんなことをするくらいなら、何も言わずに微笑んでいるほうがマシだった。なんて、ちょっとした後悔の念にとらわれたりしている。
名付けて「本当の自分探しのエソラゴト。」
先週Eテレで放送された、〈戦後史証言プロジェクト 日本人は何を目指してきたのか〉第5回 吉本隆明さんの回がとても印象に残っている。 続きを読む
一匹のカメムシの侵入をゆるしてしまった。
光に向ってやってくる彼らが、明かりの灯ったこの場所へ寄ってこようとも、
誰がそれを阻止できようか・・・・・。
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去年の夏、我が家で遭遇したカメムシ侵入事件でこんなことを感じたらしく、さらりとノートに記してあった。
(なるべく)エアコンを使わない日常で、多くの窓を開け払っているとよくある出来事とも言える。
つい先日届いたジブリの機関誌『熱風』1月号ではその編集後記にこんなことが書かれていて、なんだか妙に苦いものを噛んだ時のような気分に襲われた。 続きを読む
北海道の網走郡津別町にチミケップ湖という名の湖がある。アイヌ語で「崖を破って水が流れるところ」という意味を持つらしい。
北海道特有の、広くてどこまでも続いている幹線道路から舗装のされていないでこぼこ一本道に入り込み、ひたすら進む。カーナビも途中から居場所がわからなくなったように、その周辺をグルグル惑いはじめ少しずつ不安になる。
周囲からどれくらい森の奥へ入り込んでいったのだろう。
ようやく木々の間から西日が差し込み、湖の気配が感じ取れた時には心底ほっとして、安心感に包まれたのをよく覚えている。
その湖畔には、一軒の小さなホテルが佇んでいる。
湖の名前にちなんでだろう。その名もまた「チミケップホテル」。とても愛らしくて、一度聞いたら記憶のどこかに留めてしまいそうな、暗示的な響きの名前だ。
3年程前。雑誌で見つけたその存在がとても気になり、北海道を旅行した際、日程を無理やり調節してそのホテルに宿泊した。
たった一泊の滞在ではあったけれど、その時の記憶は不思議と時間の流れを忘れたように時折ぽわんと顔を出す。
そうして今回お正月休みを利用して手をつけた一冊の本を読みながら、わたしはまたチミケップ湖を取り巻くあの森のことを考えている。
「森の生活 WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS」著:ヘンリー・D・ソロー
外は雨。
寒さが緩み、南からの突風にばちばちと跳ねる雨。
まだ冬は終わっていないのに、どうやら気が早い春の先駆けが一瞬ちらりを顔をみせ通り過ぎてゆく。そんな天気の午後のそら。
静かな部屋にぽつねん。・・・と
打ちつける雨や風の音を聞いているとちっとも静かではないのにね。と窓の外を通り過ぎるカラスに語りかけてみたりする。
窓はせかいにつながっている。
わたしは内側でせかいの様子をうかがっている。
タイトルを「文筆欲求」としてみた。堅くて凛々しい。そんな印象?
文筆とはこれすなわちせかいと対峙し、自身を満たす欲求そのものである!ダダンッ!!・・・・。
文章術でもハウツーでもなく、どうしてこんなにも文章欲求が湧き出てくるのか。というお話。 続きを読む
わたしは実家で過ごすお正月がとっても好きだ。
なにをするでもなく、こたつに入ってひたすら食べる。
食べ疲れたら少し横になり、本など読んでもすぐに眠くなり、こんなにも自堕落でぬくぬくで食べてばかりでいいんだろうか…なんて考えずに一年でいちばん気を抜いて過ごせる時間だなぁと思う。
山に囲まれ、山の幸が豊富かといえばそういう訳でもなく、食卓に並ぶのは海の幸に溢れていたりする不思議。
これ以上食べたら破裂するんでないかという想像を超えて、飲み食いする正月。
山には雪が積もり、手足が痺れて麻痺する感覚。「寒いってこういうことだったな」と思い出すお正月。
一年に一度。なにをするでもなく過ごす、そんなお正月もそろそろ潮時・・・