あたたかいほうじ茶がからだに染み渡る。
そんな季節になりました。
わたしがこのところ一貫してたいせつにしたい一つは、” 行間 ” 。 続きを読む
どうも7月半ばあたりから全く月日の流れについて行かれません。
仕事先のカレンダーでは先週の欄をみていたり、金曜日だと思っていると月曜日だったり。
今日は水曜日だと思っていたら木曜日だった!
いよいよ体内時計が狂い始めました。
テレビをあまり見ない分、新聞を購読し始めたにも関わらず。
意識の問題か、はたまた…。
もっと一日いちにちを意識してきちんと身体に刻んでいきたいです。
先日。静岡県にある芦沢銈介美術館に行ってきた。
メインは静岡美術館で行われた高畑監督のトークイベントだったのだけれど、駅からほど近くにある登呂遺跡と、芦沢銈介美術館が面白そうだよと促され、訪れたら大穴場!ほんとうに中身の濃い美術館だったので、わたしとしては棚からぼたもち的に充実した時間となった。
参照:高畑作品の背景で織り成す『音楽』との出会い|紡ぎ、継ぐ
「ぼくの家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です。」 続きを読む
藤原新也さんの Shinya talk は大方信頼を寄せている情報源のひとつなのだけど、その中で「吉田調書」についての内容が書かれていた。
今回たまたま「吉田調書もプリントアウトして製本し、パラフィン紙包みにし永久保存したいものだ。」を読んでようやくこの話題が、随分かけ離れたところから、自分の地点まで降り掛かってきた。 続きを読む
宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」を読んでからわざと追い打ちをかけるように肉まんを食べたらものすごく気持ち悪くなってしまいました…。
人間ばかりが平和に豊かに長生きしようなんて考えは甘いよなーと。
「でね、実は相談だがね、お前がもしも少しでも、そんなようなことが、ありがたいと云う気がしたら、ほんの小さなたのみだが承知をしては貰えまいか。」
「それはほんの小さなことだ。ここに斯う云う紙がある、この紙に斯う書いてある。死亡承諾書、私儀永々御恩顧の次第に之有候儘、御都合により、何時にても死亡仕るべく候 年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校長殿 とこれだけのことだがね、」・・・・
新編 風の又三郎 — 「フランドン農学校の豚」
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前回のつづきに取りかかります。
参照:「高畑作品の背景で織り成す『音楽』との出会い」
「かぐや姫の物語」での話が一段落つくと、その後は「太陽の王子 ホルスの大冒険」「おもひでぽろぽろ」「火垂るの墓」の中で使われた音楽について話が及んだ。 続きを読む
静岡県立美術館で開催中の「山本二三展」の傍らで行われた、ピーター・バラカンの「音を見る。アートを聴く」第8回目。「映画と音楽 — 高畑勲作品をめぐって」というトークイベントに、参加することが出来た。
引用元:静岡市美術館より
これは本当に幸運中の幸運で、今もまだ先日の映像が頭の中で再現されているような興奮状態なので、バランスを損ねた文章になってしまうかもしれない。
けれどきっかけとなった「山本二三展」の開催が残り僅かなので、(これを見て実際に来場される方はいないにしても)せっかくなので開催期間中のうちに書いておきたいと思う。開催は23日(火)まで。 続きを読む
ひとつの借りもの・前提として。
*
わたしは ことば の世界がすきだ
そこに浸かりきっていると とてもここちがよくて 穏やかな気持ちになる
と同時に ことば はからっぽの箱のようなものだ
ことば 自体に意味なんてない
そんなこと、ずーっと昔の人も気づいてる
からっぽの 意味のない ことば を大切にする
愛おしくおもう そこには何かしら意味があると思い込む
ことば に意味は・・・ない。
ことば は武器だ ことば は術だ
ことば は・・・・
ことば はどこだ
わたしが 出会いたい ことば は
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少し前。8月の終わりころ、ノートに記した「ことば」の一部。 続きを読む
中沢新一さんの著書、「緑の資本論」を読んだ。資本論に興味は少ないが、「緑の」というところに興味を持った。
序文 7
圧倒的な非対称 13
緑の資本論 37
シュトックハウゼン事件 129
モノとの同盟 145
理解力が乏しいせいか、前半は少し難しい印象を受けた。読み進めていく中で「シュトックハウゼン事件 — 安全球体に包み込まれた芸術の試練」という章が結構な衝撃として印象に残った。かなり長くなるけれど(本当に!)、本文の内容を引用して残したいと思う。 続きを読む
話し方ってその人の個性をいちばん象徴しちゃうんじゃないか。
少し前から、そんなことをふつふつと考えたりしている。
見た目の個性とか以前に。話し方に全てがぎゅーっと濃縮される。極端だけど。皮ごと丸ごと絞りました!の果肉入りジュースみたいに。
テレビを見る機会が減って、本は相変わらずポツポツ読んだりして、以前と何が変わったかと言えば、耳から入れる情報が少しばかり増えたということ。 続きを読む
生まれて初めて橋本治さんの本を読んだ。「その未来はどうなの?」という新書。
2年くらい前に内田樹さんの「街場の文体論」という本を読んだ。その 第1講 言語にとっての愛とはなにか? の中で、「説明する力」の高い三人の作家として村上春樹、三島由紀夫、橋本治と挙げられて、橋本さんについて内田さんの説明そのものが愛情たっぷりで、とても力を入れて橋本治という人を推しているのが印象に残っていたから。
(ちなみにこの本の出版時期に、内田さん・平川克美さん・小田嶋隆さんの鼎談を訊きに行き、鼎談後、内田さんから直々にサインを入れてもらったという特別感がある。政権はかつての民主党時代。誰が政権を握ったら危険な方向に向かって行くか。なんてことがひょうひょうと語られていて、ある意味でわたし自身が世の中をうがった目で覗き込むようになるきっかけ、風穴を開けられる体験だった。)
というのが敢えて ”生まれて初めて” とつけたかった理由。どうでもいいようなことだけれど、結構大事にしていること。 続きを読む
先日、六本木の国立新美術館へ行った。
開催中の「オルセー美術館展」をみた。マネやモネ、ルノワールやセザンヌの絵画が一挙に集結している。
本場フランスの、印象派の始まり。”マネ”の作品を軸に展示が始まり、展示が終わる。 続きを読む