春になって陽射しが賑やかで、
鳥たちのさえずりがどの季節にもまして軽快な今日、このごろ。
陽が沈んだら、まだまだひゅーんと冷え込んで羽織ものには油断がならない。
さてさて、久しぶりの投稿。
何を書くかということは、しばらく前からあたためていて。
この度、わたしの胎内に宿った小さないのちの存在について記してみたいと思う。 続きを読む
春になって陽射しが賑やかで、
鳥たちのさえずりがどの季節にもまして軽快な今日、このごろ。
陽が沈んだら、まだまだひゅーんと冷え込んで羽織ものには油断がならない。
さてさて、久しぶりの投稿。
何を書くかということは、しばらく前からあたためていて。
この度、わたしの胎内に宿った小さないのちの存在について記してみたいと思う。 続きを読む
「ボクが「灯台もと暮らし」を立ち上げた理由 」と、題された(株)Wasei 代表・鳥井弘文さんの講義を聞いていて、ハッとしたことがある。
*
ブログ「隠居系男子」でもおなじみの彼は、わたしと同学年。昭和の終わりに生まれ、平成とともに成長し、スタジオジブリのあり方をこよなく愛す。
『かぐや姫の物語』は完璧で美しく、虚しくて残酷な映画。|隠居系男子
白でも黒でもなく、あいだの中道。穏やかな佇まいと鋭い洞察力に惹きつけられて、一念発起!鳥井さんを訪ねて行ったのは、2014年1月末のことでした。 続きを読む
気持ちがはやる春。週末、思いつきで那須へ向かった。
天気も薄曇りで、北はまだまだ冬のなごり。
わずかに細雪がちらついていた。
目的は湯治、湯に浸りたかった。
那須には好きな温泉がある。その名も「鹿の湯」。
洗い場もシャンプーもドライヤーもない。
目的はシンプルに。服を脱いで、ただそこに身を浸すだけ。
常連さんも多く通う、生粋の湯治場。 続きを読む
こんにちは2018年。
年末年始にかけて、2010年に刊行された月刊「目の眼」別冊『サヨナラ、民芸。こんにちは、民藝。』を読みました。
この2,3年、とても身近なところで「民藝」をキーワードにした動きには触れつつも、書籍などを通して語られる「民藝」に触れることをすっかり先延ばししてきたこの間でもありました。 続きを読む
「具体的に少しずつ何かを続けていくことが、大切だと思います。」
思いがけないメッセージとともに、そえられていた一つのことば。
・
はじめたまま放ったらかしにしていたのは、忙しさのせいでもなんでもなくて… 続きを読む
夢を抱き、夢をみて、なにかを越えて、ここまできた。
勇気をだして、やってきてはみたものの、現実のせかいでは夢も物語もそう長く続くわけではなくて、はじめの想像とは違って、うむうむ。。もどかしい日々が続く。 続きを読む
とても大きな波がきた。
うねり、うなり、湧き上がり、蠢いて、
いまもまだ、ざわざわ、ぞわぞわ。
鎮まるどころか、ずっと、ずっと。
それはいまなお続いていて、うっすらどこかで触知しあって、
目があい、カチン。
つながるときは、スッとつながり、
掛け違えたままのボタンが掛け直される気配はきはく。
降って降って降り続いた雨が上がると、
忘れたつもりで箪笥の奥にしまいこんだ残りの暑さを思い出す。
あぁ、まだ暑くなるのね。つい先日のはずの夏が、やけになつかしく感じます。
気分はすっかり秋なので、おすそ分けしてもらった栗を剥いて栗ごはんをつくりました。
実家の畑でとれた栗。 続きを読む
きのうから何度も、何度も、
繰り返し見ているこの動画。
COLDPLAYのup&up。
はじめはそれこそ、時空を超えて展開される映像の世界観に圧倒されていたのだけど、
なんどもなんども繰り返し見ていくうちに、そこに見え隠れするメッセージ性のほうにぐんぐんぐんぐん惹きつけられていった。
わたしたちが築き上げたもの、
わたしたちが描いた未来、
わたしたちが手に入れ、進んできた道のり、
進みたい、見てみたい、もっとたくさん、もっと幸せに。。
大地に線を引き、壁も作ったし、さらなる発展を目指して、開発をして、戦争もして。
もっとよくなる。もっと便利に?
どんどんいこう。いけるとこまで?
ひとりひとりの時間が有限なのと同じように、
水に満たされたこの星のなか、
ひとも、どうぶつも植物もみんなみんなで、限られた地球を共有している。
便利に満たされた時間のいっぽう、
家を追われて居場所を探し、おおきな影に追われ続けるこどもたちがいる。
純粋なまなざしで、かれらが見ているせかいに向き合う。
みたいものだけ見ていればいいの?
なりたいわたしだけ、追い求めればそれでいい?
国境も、言語も、時空すらも飛び超えられるこれからの未来。
人びとのもつイマジネーションがせかいを如何様にも変貌させられるとしたら、
そこには愛があるといいな。
おおきなおおきな、
海のように懐の深い
愛がすくすく育つみらい。
止まらない季節にふと足を止め、空を見上げる春。
都会も田舎も、いたるところ景色は桃色さくら色。
ぴちぱちと弾け、いきおいを放つ若葉群は青々と茂り、
活動のしらせに鳥どりは持ち前の歌声にみがきをかける。 ・・・
過ぎ去っていくものはいつの時代もこころ儚くし、
はじめは嬉々として空ばかり見上げていた人々も、
いずれは我を思い出し、足早に歩み出す。
そこで起きたすべては大きな舞台、演目のひとつ。
わたしたちが信じて止まない架空の”日常”はより一層、それがもつ”日常さ”に拍車をかけるのです。 続きを読む
正月明けのぼやけた頭を、がつんとやられる一冊に出会いました。
今はなき哲学者、川原栄峰さんの著作『哲学入門以前』というものです。
27歳になりたてのわたし自身にむけて、お祝いと激励の気持ちを込めて引用してみます。
ちなみにこの本は、昭和42年11月に発行されたもののようです。
屏風のように正面にそびえる山並みの向こうに暮れていく日と、
ほのかに醸された夕暮れのあかもいよいよ引いていく。
場所から場所への移動と、この間(一連のここまでの流れのなか)に感じた気持ちや思いを自由に行き来させる行為は、少しだけ似ている。
2015年の幕引きと、2016年の幕開けという境。
グレゴリオだけど、人々のきもちは嬉々として空中をたゆたうばかり。 続きを読む
すこーん!と突き抜けるように清々しい朝。
もう何日か経つと、冬至ということで、お日さまの光がてっぺんまで弱まっていく、フィナーレの数日間ですね。
弱まって転ずる。そんな佳境の”いま、ここ”です。
ぬくぬく。かぼちゃ団子。。
ひたすら動き続けるなかで、芽生えたひらめきもすぐに掬いあげることなく、泳がせたまま流れに委ねる日々は、一層ふしぎな感覚でながれてゆきます。 続きを読む