山と結びつきながら

以前、屋久島を訪れた際に宿泊先の民宿のご主人が話していたことばをここでも思い出す。

「昔の島民は、日常的に山には近づかなかった。」近づくことは一種のタブーで、大事な祭事がある時に限って、選ばれた男性たちだけが山に登ることを許された。

 

吉本隆明さん・梅原猛さん・中沢新一さんの鼎談本「日本人は思想したか」の中、日本人の「思想」の形成という章で中沢さんが話されていることとも結びつく。

搔い摘んでいうと、「日本人の思索の始まりは日本の仏像にあり、そういう仏像をどういう人がつくってどういうところへ置いたかというと、だいたい龍神が住んでいたり、水源の神がいたりする山の奥。行なっていたのは山へ入っていく山岳の修験の人たち。彼らは山へ踏み込んだり、それまでタブーとして踏み込めなかった水源地へ出かけて行き、そこの自然の神様を呼び出し、それを十一面観音や千手観音につくりかえるというとても大胆なことを実行した。」
「日本人の思考のはじまりを考える時に、山の奥の水源地や岩山で起こったことはとても重要な意味を持っているように僕には思える。」

遡ると縄文時代あたりから祖先たちは山へ入り(死に近づいていき)修行をし(神と出会い)、そこへ接近して戻ってきた男達だけが村の文化を担う者になった。それほど、自分たちの根底に流れているものは、山と密接に関わり合っている。

 

だからどんなに時代が移り変わっても、山に惹かれてそこに向かう人は後を絶たず、山と人が切っても切れないところで結びついてしまうのはこの国では当然なのかもしれないなと思う。

 

今は昔に比べると、女性や子どもにも開かれた山が多い。
そうはいっても親しみやすさ、豊かで与えてくれるものばかりじゃない山の姿も、そこには当然ながら存在している。

北アルプスに囲まれた土地で生まれ育ち、春夏秋冬。毎日のようにその山々を見るともなく見て過ごした頃を思い出す。

その景色はとても馴染み深く親しみもあった。と同時にそこにそびえ立つ山はとても遠い存在だった。存在しているだけで十分に感じることができた。だからそこにいた頃は山に登りたいと思うことはなかった。

離れてからは山に登ってみたいなぁと少しずつ思うようにもなった。

 

夏に帰省すると、「今朝も早くからヘリコプターが出動したよ。」という話がよくでる。
これは遭難者が出たという一種の合図。ヘリコプターの音が聞こえる度に、そこで暮す人は自然とそんなことが頭をよぎってしまうんだろう。

そのせいか、上高地の麓で生まれ、北アルプスが見渡せる父の実家に嫁いだ母は、きっとこれからも進んで山に登ることはないんじゃないかと思ったりする。

 

日本でも有数の山岳地帯として知れわたる故郷の一帯は、長い年月をかけて火山活動を繰り返し続けてきた場所であり、それ故に高く険しい山々と、色濃く美しい四季の変化を感じられる場所となった。日本を見渡せばそういった場所が沢山ある。

自然の脅威であり恵みでもある火山活動や地震を繰り返してこの国は緑と水の豊かな今のかたちになった。そんなことをあらためて思い知らせれる。

広く一般的に親しまれ開かれた山も、今回のように一度動き出してしまったら、人を寄せ付けないおそれの象徴となってしまう。

 

「触らぬ神に祟り無なし」・・・。もしかしたら知らず知らずの間に人々は随分と神の住処に立ち入り過ぎてしまったのかもしれないと。「山の神」についての記述からもそんなことを漠然と考える。

それは山に限ったことではなく。そうだとしてもその代償はとても大きい。

 

それではこの辺で。

中條 美咲