高畑作品の背景で織り成す『音楽』との出会い

静岡県立美術館で開催中の「山本二三展」の傍らで行われた、ピーター・バラカンの「音を見る。アートを聴く」第8回目。「映画と音楽 — 高畑勲作品をめぐって」というトークイベントに、参加することが出来た。

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 引用元:静岡市美術館より

これは本当に幸運中の幸運で、今もまだ先日の映像が頭の中で再現されているような興奮状態なので、バランスを損ねた文章になってしまうかもしれない。
けれどきっかけとなった「山本二三展」の開催が残り僅かなので、(これを見て実際に来場される方はいないにしても)せっかくなので開催期間中のうちに書いておきたいと思う。開催は23日(火)まで。

 

このトークショーの本題に入る前に高畑監督は、「今回の山本二三さんの展覧会の開催をとても嬉しいことです」と語られた。そして「彼は一方の旗頭ですから」と仰っていたのが短いことばの中にも随分深いおもいがあるのだろうなーと印象的だった。

 

トークショーのテーマが「映画と音楽 — 高畑勲作品をめぐって」ということで、高畑監督の今までの作品から特徴的な音楽シーンを映像で映し出し、音楽を足がかりに作品の人物との距離感や意図について話されていくというような流れで構成され、そのアプローチの仕方がとても面白かった。

まずはじめに取り上げられたのは、去年公開されたばかりの「かぐや姫の物語」の終盤で流れた「天人の音楽」について。

映画をご覧になった方はよく覚えていると思うけれど、月に還るかぐや姫を迎えに仏様を先頭に、今でいう管弦楽団が軽快な音楽を奏でながら雲に乗って、月から登場するという最も奇妙で印象的な場面だ。

ここでは阿弥陀来迎図や宇治・平等院にある雲中供養菩薩を意識しての表現だったというようなお話があった。
雅楽のようなものを参考にされたのかというような問いに対して、「雅楽は全然ちがう。」雲中供養菩薩のように「とても多様な楽器を携えているのだから、実際にはとてもリズムのある音楽のはずだ」と。サンバやイタリアの民族音楽を参考に、イメージを久石さんに伝えたと仰っていて意外だった。

ここで、日本の音楽や能、歌舞伎などの伝統芸能全般の特徴について高畑監督は「日本人は(あらゆるものが伝わってくる中で)気に入ったもののみを固定化して残す。一気に頂点まで到達させ、とても早い段階で固定化してしまい、あとはそれを細かい約束事で囲い継承していくだけ。」「西洋は演劇にしてもどんどん発展させてきたのに対して、日本では発展していかない。」とかなり鋭い指摘をされていた。” 伝統 ”といういかにも由緒があって「素晴らしい・守るべきもの」という側面だけでないものも抱え込んでの ” 伝統 ”ということをきちんと理解する必要があるのかもしれない。

 

また、近年、主人公の感情に沿った曲をつかって本当に巧く観客側の共感を作り上げてしまう作品が多いがそれについても「感情に流される必要はない」とかぐや姫との距離のとり方についてきっぱりと断言されていた。
これについてはピーターさんも日本に来て始めの頃、日本のドキュメンタリーは音楽を使って明らかに見る側の感情を操作していると感じ、とても驚いたと話され、最近では報道番組でも音楽が使用されていたり(イギリスではあり得ないことらしい)、客観性を保たなければならない報道の在り方について、お二方とも大変危惧されているようだった。

 

天人の音楽は迎えの場面と月へ還る場面によって少しばかり曲の内容が変化するので、進行によって「 Ⅰ 」に続き「 Ⅱ 」を流し始めたところ、この辺りのシーンは制作の終盤で時間がなく、すこし粗い仕上げになってしまったらしく(そんなことを呟かれていた)あまり観られたくなかったのか「もういいじゃないですか」と次を煽ったり、高畑監督自らが作詞作曲した「わらべうた」を子ども達が唄う場面を流している時なども「取り出して聴かれても…映画の中にあるものだから…。」と小言のように漏らされていて、監督はやっぱり作品全体を通した中から感じ取ってほしいのだろうなーと。作品に対する厳しすぎる真摯なスタンスを目の当たりにした気がして、映像が流れている間は監督の一挙一動が気になり、とてもヒヤヒヤしてしまった。

 

本作で試みた特徴的な描き方についての質問に対しては、描き込んでいくことは努力すれば(一定のところまでは)できる。どんどん鮮明に主張が強まっていく中で、押しつけではなくつつましさを。「私は本物じゃありません」という姿勢で。その裏側にある本物を感じて欲しかった。記憶を掻き立てる絵にしたかった。と仰っていた。

 

この後、更に高畑監督の作品を通しての音楽の多様さ、多国籍感をどしゃぶりのように浴びることになるのだけれど、(本当に土砂降り!音楽に限らず底知れず広がりのある知識の渦に大半は置いてけぼりを食らってしまう)一度ではとてもまとめきれないので今回はこのあたりで留めておきます。

 

映画「かぐや姫の物語」で流れる「天人の音楽」は非常に印象深く、自分がささやかなハコモノを作るある意味きっかけともなった作品のひとつで、それによって突き動かされたことに始まり、今回も静岡県まで足を運び、監督の話を聞けたというのは本当に賜り物だなぁと実感しています。

また、6月に実際に訪れた宇治・平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩についての話などは、よりイメージが涌きやすく、いろいろが繋がっていく面白さを肌で感じました。

参照:「宇治・平等院鳳凰堂・来迎の仕方」紡ぎ、継ぐ

 

ひとつひとつのきっかけや賜り物によって、新しい世界と、自分が集めてきたピースがピタッとはまり繋がっていく様は何よりも今一番の楽しみで無駄にはしたくないと貪欲さばかりに磨きがかかってしまうのが玉に瑕です・・・。

 

それではこの辺で。

中條 美咲