始まった頃にはまだまだ人ごとで、あっという間に追い越されて追いつけなくなっている。
時間を歪めてしまう程、独自のパワーを持っている夏。
追いつけ追い越せで毎回追い越されてしまう夏。
25年目の夏もそろそろ終わろうとしている。
この夏休みは、故郷で過ごした。生まれてから18年間を過ごした場所。知っているようで、殆ど見えていなかったことを、最近帰るたびにありありと感じたり、する。
ー思い出 その1〈白馬村のスキー場で〉ー
写真は友人宅の目の前のゲレンデ。
高校時代の友達の何人かは、徒歩数分でスキー場に行けてしまうような環境で生まれ育っている。
この子の家は極めつけで、スキー場の中腹で両親がペンションを経営されている。だから家を一歩外に出ると目の前に広がるのはゲレンデという環境・・・!
その子の学生時代は制服姿でリフトに乗って登下校したり。それだけでツワモノ感が半端でない。
そんな友人宅のペンションで女ばかりのBBQをした。懐かしいやら相変わらずの雰囲気やらでとっておきの夏の思い出となった。
年を重ねて環境や、自分を取りまくあらゆるものが変化しても変わらないものがある。それってすごく大事。いつも常に連絡を取り合ったりする関係性でもなく、それでもちゃんとそこに”在る”って感じられるだけで、人は何重にも強く補強される。そしてそういう根本はやっぱり揺るがない。
ー思い出 その2〈車旅のススメ〉ー
今回の休みは日帰りで石川県金沢市に行ってきた。今年で三周年を迎える「鈴木大拙館」に行ってみたいというのが、ひとつの目的だった。
展示は少なめだったけれど、空間や建物など全てを通して「鈴木大拙」という人物がよく表現されているんじゃないかなと、そんなに多くも知りもせずに感じた。とてもすきな場所になった。
わたしは小さい頃から本当によく車旅に連れて行ってもらった。家族揃って47都道府県の40県くらいは行ったことがある。飛行機やフェリーを利用したのは沖縄、九州、北海道くらいで四国や山口県、青森県など本州はすべて車旅だった。運転するのはもっぱら父親。車旅に慣れているせいか、近隣の県などであれば前日予定を決めて日帰りで出かけることは割と朝飯前という。
そうはいっても出発地点が日本列島のほぼ中心に近い信州ということもあり、周囲は日本アルプスを中心とする山々に囲まれている。
山が多いということは外に出るためには必ず山越えをしなくちゃならない。だからトンネルが多い。そして長い。又は極端に細く険しい山道が続く。
金沢に行くにあたり、行きは糸魚川に抜けるルートを利用した。白馬村や小谷村という特別豪雪地帯に指定されている村を抜けて糸魚川(新潟)から富山に下るというルート。新潟に入るまでは細い山道が続く。糸魚川に出てしまえば高速で快適に進む。
帰りは飛騨高山から上高地に抜けるルートを利用。
このルートは有名な観光地、白川郷の脇を通る。ここで驚いたのは、そのトンネルの多さと、長さ。抜けたと思えば一息つく間もなくまたトンネル。大体10個くらいは続いたろうか。中でも印象に残るのは全長11キロに及ぶ飛騨トンネル。
11キロと表してみても、あまりピンとこないかもしれない。
けれど、本当にひたすら長い。そして相互一車線通行!
自分が運転している訳ではないにも関わらず、異様な緊張感がつづく。
こんな風に、立派な山を貫通させてしまうトンネル。
トンネルがなかった時代は、山合に沿って道を作ったのだろうか。直進では11キロでも、山間に沿ったらもっと長い。木もたくさん切って、山もかわいそうな姿になる。そう考えると表面の木々を沢山切り倒して道路を造るよりも、技術を駆使し短期間で貫通可能なトンネルの方が、自然にやさしいのかもしれない。
何よりもこの地域に住む人たちにとって、このトンネルがあるか、ないかは死活問題だったのだろう。
周囲に跨がる山々は、強固に今もその地を囲い立ちはだかる。白川郷を始め、これほどの山奥に、昔の人たちはどうして、どこからこの場所にやってきて根を張ることにしたんだろう?
いつもは居眠りばかりの車旅だけれど、今回はそんな事をとりとめもなく巡らせていた。
最後に。
都会に暮らすようになると、時間は最優先事項のひとつになるのかもしれない。近くて便利で早い。これに尽きるというか・・・
車旅はどちらかというとどんくさかったり、スムーズでなかったりする。
渋滞は必須で、事故がいちばん起こりやすい。
昔の人たちは大自然と向き合いながら、ひたすら歩きながらその当時でも今みたいに「秘境だ!」などとその土地土地に発見もしながら五街道を歩いて移動したりもしたのだろうか。
ほんとうは歩きながらの旅が理想かもしれないけれど、そうもいっていられないので、そういった雰囲気がわりあいと感じられやすい” 車旅 ”は今になって改めていいなと思う。
特に金沢から飛騨高山を通る道はそういった雰囲気を多く感じられる。
大人になってもう一度、生まれ故郷を知ることと、復習も兼ねて改めて「日本列島 車旅 」を地道に継続していきたいなーと思う。
そんなことを感じた夏休みだった。
それではこの辺で。
中條 美咲