終戦記念日の今日に。わたしの古里で、先日の続きを書こうと思う。
参照:まだ、戦争には間に合いますかー(前編)
無事に駐車を終えて…
今回は花火をみることが目的だったのでせっかく新潟まで来たけれど、他を観光することなく昼過ぎから炎天下の中河原の行列に並んだ。
こんな風に花火大会で昼間から並ぶのは初めてのこと。人の多さも含め暑さに朦朧としつつ開場を待った。
13時頃一斉に席が解放された。一挙に河原はブルーシートで埋め尽くされていく。変な話だけど自分たちの陣地をいち早く確保しようと励む光景。少しでも広く、多くの陣地を取りたいと思うのはやっぱり人間の性なのかな。なんてしょうもないことを感じながら。ゆったりと余裕を持って自分たちの場所取りを完了させた。
右岸と左岸の両方が解放されているので人はとても多いけれど東京の花火のように大混雑になることはない。無事に席の確保もした。あとは夜の7時まで何をして過ごそうか…
近くには大型のショッピングモールが二施設。映画館が入っていたので映画を観ることにした。
その名も「野のなななのか」。前回紹介した大林宣彦監督作品「この空の花ー長岡花火物語」に引き続き、ふるさと映画第二弾として制作されたのが「野のなななのか」。
実際こんな映画があること自体、この時たまたま知ったに過ぎない。「この空の花」が ”長岡” に対し、「なななのか」は北海道の “芦別” という土地が物語の拠点になっている。
どちらも戦争を題材に扱った、ふるさと映画。
なんの予備知識もなく、この二作品が繋がっていることも知らずに、観ることにした。
驚いた。・・・はたまた、 魂消た(たまげた)!
映画を観て感動することはあっても、ここまで突き抜けた衝撃を与えられたことはあまりない。
3時間近くある大作で、映画の内容も前衛的とでも言えばいいのか、冒頭からひたすらに目を奪われる。(このタイミングでなければ、冒頭から取り残されてしまったかもしれない)中原中也の山羊の歌が鮮明に残る。
俯瞰で観ることが出来ずに引きずり込まれてしまう。そんな作品だった。
冗談を抜きにして、この映画を観るためにわざわざ新潟まで来ることになったのかもしれないなんて思えてしまった。
なにがそうさせたのか。人生って本当にわからない。
自分が期待したのとは裏腹に、面白いくらい紆余曲折して繋がっていく。それを繋がっていると感じるかどうかも含めて。成り行きに身を任せることで、どんどん世界は開けていく。
なんだかこの時はそんな風に思えてならなかった。そうして花火をみる前から既に、気持ちはずいぶんと高揚していた。
映画を見終わると丁度いい時間で、私たちは歩いて河原の岸に向かった。
そこに集まる人の多さに圧倒されながら、始まりを待つ。中越地震をきっかけに復興花火として追加された”フェニックス”。平原綾香さんのジュピターをテーマ曲にしていたことから、7年ぶりに平原さん本人が訪れていた。
開催の合図と共に、平原さんの生歌「Jupiter」が披露される。
日の入りの間際。あわいの時間。花火が始まってもいないのに、不覚にも涙が止まらない。
花火は・・・それはそれは素晴らしいものだった。それこそ言葉にする必要はない。言葉にしなくても、しない方が伝わっていく。
「この花火には心がある」大林監督がそう確信したように。
最後に…
「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争がなくなるのにな」
放浪の画家・山下清さんは言った。
爆弾をつくるのと同じように花火は作られる。
花火は光と音。戦争と同じ。
未だに花火の打ち上げで、戦争を思い出して怖くなってしまう人も大勢いる。
そういったことを思い出しながら、私たち日本人はこれからも夏の空に満開に開く花火を大切に守っていく必要があるのだと思う。
映画「この空の花」で遠藤玲子さんは言っていた。
「にんげんが育たなきゃ、生きることも育ちませんでしょ。」
8月23日〜東京都品川区にある目黒シネマにて、上記の2作品が上映されるそうなので、気になる方は是非。
それではこの辺で。
中條 美咲