この夏、わたしの目の前で大きな大きな光と音が花、開いた。
目の前の景色、全てを埋め尽くすおびただしい量の花火。あまりにも美しく、そこに込められた底知れぬ想いの強さに圧倒されて、後から後から止めどなく涙が溢れた。
わたしにとって「長岡花火」との出会いは、思いがけない2本の「映画」との出会い。でもあり、彼らの中で消えることのない「戦争」との出会い・・・となった。
どうして長岡花火に行きたいと思ったのか、はっきりとは覚えていない。
どこかで聞いたのか、何かに反応したのか、長岡花火は別格の花火だと見たこともないのに、勝手に思い込んでいた。いつか見てみたいと思っていた。
長岡花火は、毎年必ず8月2日、3日で打ち上げられる。
その日が休日であろうとなかろうと。
1945年8月1日。その夜、長岡にはB29大型爆撃機によるおびただしい数の爆弾が市街地を襲った。午後10時30分から1時間40分もの間。市街地の8割が焼失し、一夜でおよそ1500人が亡くなったそう。(参照:長岡まつり協議会)
戦争のことなら知っている。学校の教科書に載っていたもの。先生が歴史の授業で教えてくれた。修学旅行も行ったっけ。広島の原爆ドーム・・・・・。
1945年、8月15日。日本は、戦争に負けた。戦争は終わった。終戦記念日・・・・・。
毎年、この時期になると広島・長崎での慰霊祭の様子や戦争を題材とした番組や報道が多くなる。そこで語られる戦争の情景。あまりにも多くの人が死に、焼け野が原。
そこに立ちこめる臭気も情景も、すべてがあんまりにもかけ離れすぎていて、想像力が及ばない。及ばないというよりも想像力を一時停止。
わたしが知っている(と思い込んでいた)「戦争」は歴史上の出来事というだけだった。
話は戻って、3日の朝。5時頃神奈川を出発して9時前に新潟に入った。
駐車場の開き時間10時には着くように。少し余裕があるので、日本の原風景がそのまま残るといわれている山古志村というところに寄り道をした。
この村の名前も存在も知ったのはこの時が初めて。相棒はある意味、わたし以上に欲張り。旅になると、びっくりするくらい色々調べて、詰め込んでくれる。
山古志村。そこは本当に山奥で、なだらかな棚田の風景が広がるばかり。
わたしの生まれ故郷も田舎だけど、山古志の方がもっと、昔ながらの雰囲気が残る。なんとなくそんな気がした。日本でも有数の豪雪地帯。夏はこんなに穏やかだけど、冬はとてつもなく長く、雪深く、静かなのだろう。
あまり時間もなくなって来たので、寄り道終了。
もっとこの村を見て廻りたい。気持ちだけ置き去りに、目的の長岡市信濃川を目指して、車を走らせた。
本題に入る前だけど長くなりそうなので、一旦ここまでにします。
ちなみに長岡花火を題材に、大林宣彦監督が制作された「この空の花 ー長岡花火物語」という映画があることは知っていた。
長岡花火に行くことが決まり、行く前に観るか迷ったけれど、後で観ることにした。花火から数日後、この映画を借りて観た。驚いたことにこの映画の中で、たまたま訪れた山古志村と以前から行きたいと思っていた熊本(天草)は大きくリンクしている。なんだか不思議な巡り合わせを感じた。
映画を通して長岡花火に込められた想いの正体が明らかになり、そこには今まで感じたことのないリアルな「戦争」があった。
「まだ、戦争には間に合いますか?ー」というタイトルはそんな劇中から借りたもの。
終戦記念日が近づく今日この頃。
「戦争」について ”考える” というよりも、よりリアルなものとして”感じる” ことができる凄い映画だと思うので、ひとりでも多くの人がこういった作品を見て、その評判を広めていければいいなと思います。
それでは、今日はこの辺で。
つづく。
中條 美咲