夏の暑さもさる事ながら、

遠くで破壊的なカミナリの音が鳴り、とても強い雨が降った。

お隣さんのベランダには洗濯物が干したまんま。

ものすごい勢いなので、じっくり見入ってしまった。

真っ白くて大粒できもちがいい雨だった。

カラカラに乾いていた筈の洗濯物は、きっとまたひたひたに濡れてしまったに違いない。

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(蓮の葉。道管に水を通した様子が衝撃的だった)

 

あまりに暑い夏がやってきたので、なんとか扇風機で耐え抜こうと思っていた計画も、ここにきて頓挫した。

雨上がりの立ちこめる湿度の中、風が止んでしまってはさすがに身体が危機感を覚える。

久しぶりに窓や扉を閉め切った部屋は、なんだか少し窮屈だった。

 

元々はなにも持っていなかった筈のわたしたちは、優秀な先代たちのおかげさまで、電気・ガス・水道・車・電車・飛行機・冷蔵庫・洗濯機・エアコン…などなど。挙げ出したらキリがない程に便利で生活に浸透していて、なくてはならないものに囲まれた生活を送っている。

今となってはそれが揃っていることが最低限度。

 

じゃあそれがなくなったら生きてゆけなくなっちゃうのだろうか?・・・

そんな、考えてもあまり意味のないことをまたもや考えてしまう。

 

外気温は毎日30°を超えているけれど、移動を除けばほぼ適温にコントロールされた気温の中の暮らしは快適。(そこはもはや夏であって夏でなくて。)

冷房に慣れれば慣れる程、暑さに適応する能力も低下しちゃうんじゃないか。

外気温と室内の温度差が極端すぎるから、身体を壊してしまうんじゃないか。

使わずに熱中症になってからでは遅いのだけど、もともとなくても平気だったものがなくてはならないものになることもちょっと警戒。なるべく意識。

 

風がまた少し出始めたので小一時間も経たないうちにエアコンは止めてあらゆる窓を解放する。

窓を開けるとたくさんの生きものの気配を感じ、これも夏ならではの風流なんじゃないかとひとりご満悦になる。

その一方で網戸に突進する虫たちはなるたけ侵入しないでおくれと願いながら・・・。

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(蓮さんぽでみつけた蝉の抜け殻…)

 

 

最後に

生まれた時からわたしは、知恵を絞らなくても快適な暮らしが送れている。昔の人たちはこんなときにいろいろな知恵を絞って少しでも快適に夏を乗り切ったに違いない!と想像してみる。

風鈴にかき氷、うちわに蚊帳や簾に花火も?そういった知恵のひとつだろう。

身体や脳みその使わなくなった部分は人も動植物も昆虫も退化していく。
進化したあらゆるものの陰で、退化したであろう感覚や知恵やそういったものに憶いを馳せて。

アンチエアコンをしようと思って書いたわけではなく。・・・というのは嘘。
ほんの少し、気持ちはアンチ寄りで。

便利・快適になるのは良いことだと思う一方で、便利・快適が過剰になくてもちゃんと生きていける人であれたらいいなぁと。

 

熱中症には気をつけて、暑い夏を乗り切りましょう。

 

それではこの辺で。

中條 美咲