当たり前の話、かもしれない話。
〔尊敬と軽蔑は出所が同じで、ちょっとした塩加減によって尊敬に転じたり、軽蔑に転んだりする。〕
というのも、あらゆる感情(現象含め)はよくよく突き詰めていくと必ず裏と表がある。相対するものだからだ。 表から感じるところはもの凄く大きな”尊敬”であっても、実は腹の底で”軽蔑”していたり、 軽蔑までいかずとも小さな種を隠し持っていたりするのだと思う。
愛憎もそうだし、善悪とか陰陽、左右、内外、開閉、新旧、明暗、遠近なども。挙げ出したらキリがない。。
互いに持ち合わせていない片割れを補うものとしてもう一方が存在する。
相手の存在を認識することによってその効果が発揮しやすくなる。
両者が在ることで互いを生かし合い、自分にない効果を発揮している片一方を羨ましく、有り難く、尊敬するけれど、腹の底のどこかで(自分の存在意義をより強めたかったりするからなのか)ちょいと反発してみたりする。
それは嫉妬であり、羨望であり、尊敬であり、そういった感情の渦巻きだった。
何事も語らずに(頑に)去っていく彼の後ろ姿。
常に一番傍で伝達を担ってきた彼とだって互いを生かし合いながらも巨大な渦巻きの塊を孕みながらだったのかもしれない。
そういう意味ではより自分と真逆をいくタイプの人間が傍にいるというのは刺激的で面白い。
似たような性質ばかりで戯れていても埒が開かず、光も拡散するばかりだろう。
そして物事には必ず表裏が存在する。 良い面と悪い面。日の当たる場所と陰を生む場所。
やっぱりあたり前の話だ。
最後に…
どちらの存在も認め合いながら生かし合っていけたらほんとうに鮮やかで深みのある景色がそこには広がる気がして、そんなものを体感してみたいという羨望が日に日に増していく今日この頃なのでした。
堅いタイトルにしてしまったので、サブタイトルはこちらにします。→「不安はいっぱい、夢いっぱい。」いかがでしょうか?
それではこの辺で。
中條 美咲