1997年の夏に宮崎駿監督作品「もののけ姫」が公開され、かれこれ17年。
当時8才の少女だったわたしも同じように年を経て、今年(2014年)で25歳になった。
金曜ロードSHOW!で「夏はジブリ!」と題して昨晩「もののけ姫」が放映された。きっとご覧になった方も多いことだろう。
タイトルにも書いた通り、大袈裟ではなく・・・自分にとってこの作品は一種の”呪縛”に近い程、当時8才だったわたしに与えた影響は大きく、そこがひとつの要となって今の自分がいる。と思っている。
毎年夏が来る度に、わたしは「もののけ姫」を観たくなる。なぜ夏なのか?冬じゃないのか?…
自分でもよく分からないが、多分、公開されたのが”夏”だったというのは大きいと思う。
この作品に限らず、夏休みの子ども達、親子をターゲットとすると、他の作品も夏の公開に合わせるのが自然なのだろう。
わたしは「となりのトトロ」が公開される年に生まれた。宮崎駿監督が”子どもたちに向けて”作品を創り続けてきた期間の大方を子どもとして、リアルタイムのジブリ作品に囲まれて育ってきた。
だから夏になると自然とジブリ作品がみたくなる。というのは、自分の体にとってのひとつの生理現象のようなものかもしれない。
そしてそれほどにも(意識よりずっと深いところ)宮崎駿作品、特に「もののけ姫」が自分自身の中に染み込んでしまっているというのは、これは一種の”呪縛”なのだろう。とつい最近感じるようになったので、前置きが長くなったがそれについて書いていこうと思う。
なぜ”呪縛”なのか・・・
映画の冒頭、不穏な雰囲気の音楽と共に浮かび上がるタイトル。子どもにはとても恐ろしく、ただならぬものが始まるという予感がする。
テレビでも奇妙でおっかないと感じてしまうのに、映画館の巨大スクリーンで、タタリ神が登場する場面など怖くて怖くて堪らなかっただろう。
子どもは今の自分のように「なぜタタリ神が生まれてしまう?」や「これ程の恨み憎しみの連鎖はどこで収まるんだろう?」などということを考えながら映画を観たりしない。そこに理論などはなく、ただただ目の前に流れる物語りの世界に入り込んでいく。時折怖くて目を逸らしながら、それでも隙間からちょっとづつ覗いて恐る恐る見続ける。
理論というのは一種の武装に近いものだと思う。(もちろんそれだけではないけれど)
答えが簡単に見つからないとき、なぜなのか質問されたとき、自分にとって理解の範疇を超えた問題に出くわした時・・・感覚やなんとなくの直感。何故かは上手く説明できないけれどそう感じた。というのではお話にならないと大人は思い込んでしまっているようにわたしは感じている。実際今の世の中では理論なしに相手にされないのだろう。
なので理論的に過去の経験や大方の見解、そういったものを総動員した上で考える(伝える)。
理論が一種の武装と仮定すると、理論的に考えることのできない”子ども達”(それが何才から何才なのかまではわからない)は丸裸の状態でそういった問題に直面することになる。
丸裸なので誰も守ってくれない。となりで一緒に観ている筈の親さえもその時間はとても遠いところに感じる。今目の前で繰り広げられる世界への対処の仕方がわからない。
理論も身に付いていない状態の子ども達が、対処の仕方がわからない問題に直面したとき、そのときにはどうにも出来ないので、自分の魂にとても近いところまでそういった事態の侵入を許してしまうんだろう。それが一種のトラウマであり呪縛であり、将来的に自覚するしないは別として、その人間の根本的な部分に影響することになるのだとわたしは思う。
宮崎駿監督は一貫して”子ども達のために”映画を創り続けてきた。
それは(もしかしたら)ほんとうの意味で今の世の中の在りようを問い直すことが出来る(変えていける)のはまだ何の武装も持たない丸裸の子ども達だけなんじゃないかと考えた上で、その”念い”を遂げるために多くの子どもたちの内側にそのような呪縛(まじない)をかけたということなのかもしれない。
最後に。
この作品は、子ども向けの作品とは思えない程に「怒り」「憎しみ」「悲しみ」「恨み」というような破滅的な言葉で溢れている。そこに光は見えず、在るのは積み重なって膨れていく恨みや憎しみの連鎖ばかりだ。
それに対して「静まりたまえ」「静まって」というような言葉も多く登場する。
今回理論的にこの作品に向き合ってみた中で感じたことなのだけど、乙事主が怒りで沸き上がり暴走し始めたときにタタリ神の元となるあの気持ちが悪いうにょうにょは自らの内側から湧いてくる。外側から何かが入り込む訳でもなくそれ自体を生むも生まぬも内側の在りようということだ。
破滅へと暴走していく乙事主がシシ神と対峙した瞬間、怒りはおさまり命の終わりと共に乙事主は死んで安らかになる。
死によって静まり、おさまり、安らかになる。
これはほんとうにまだまだわたしの中に留まり続ける呪縛だなぁと・・・。
そして出来るだけ多くの人たちの中でこのまじないが消えずに、時折顔を出す存在であり続ければいいなぁと思う。
それではこの辺で。
中條 美咲