最近また3・11について、あらゆるところから、問いかけが聴こえてくる。
何気ない流れの中で、わたしがたまたま手にとって触れてみた作品や会話、それらの中で必ずと言っていい程話は3・11に及んで遡るわけだ。
それなしでは語ることの出来ない歴史的転換期とでもいうんだろう。
ことばにするととても仰々しい気もするけれど。
実際にそれほどの爪痕を残して、未だにその傷跡は癒されるどころか、置いてきぼりのまま一部の人たちの心の中に深く深く沈殿したままだ。
浄化されることもなく。一見とても穏やかに見えるのかもしれない。
「ラジオ版学問ノススメ」という番組で、作家の高橋源一郎さんと文化人類学者の辻信一さんをエキスパートに迎え、共著『弱さの思想 たそがれを抱きしめる』を踏まえ2回にわたって弱さの思想とは何か?について語られた回を訊いていて、ものすごく衝撃を受けた。
戦後日本が作り上げてしまった、死や老いを見ようとしない、いつまでも右肩上がりという幻想にしがみつき生きてきた社会。そこにいるのは健康に働ける人たちばかりで社会的に立場が弱かったり、病気を抱えてしまっている人たちのことは例外であり、その中に死や病気はあってはいけない。自分の弱さを抱きしめられない悲しさや、敗北力のなさがここにきて(3・11をきっかけに)小さいながらも転換し始めているのではないかというようなお話だった。
そして、システムというものが生み出された結果、いつの間にか何かを「する」ことが主役になり、「いる」「在る」ことが抜け落ちてしまったというような話に及ぶ。
大事なことは(その人のために)何かを「する」ことではなくて、ただ傍に寄り添って「いる」ことだと。
生き方のプランが出来上がってしまった中で(敗戦を経験したことから)”負ける”という言葉が使えなくなり、敗北はありえないとなってしまったら嘘をつくしかなくなっていた。
そのうちに嘘は嘘ではなくなってしまったのかもしれない。
嘘を真実だと思い込んでいたら、それを信じている人にとっては紛れもない真実なのだと。
その一方でその嘘に疲弊しきってしまった人たちが溢れだすようになってきてしまった。
年間3万人が自殺してしまうという矛盾。みんな成長して幸せになる筈じゃなかったの?・・・
にんげんは弱い存在だ。どうあがこうと、どんなに権力があるにんげんだって頻発する地震や台風に打ち勝つことは出来ないし、どれほど進化したと自惚れようと、水や空気や太陽の光がない世界では今のところ生きる術もない。
今は、この日本という小さな島国で食糧難になることもなく平和に暮らしていけることが当たり前になってしまっているけれど、この豊かさと平和は当たり前では絶対にない。
わたしたちは弱く、一人では生きられないので、あらゆる自然から恵みを分けてもらい、独り占めせずに、みんなで分かち合い、そして知恵を集めて弱いながらにどうにか支え合って生きましょう。とそういうことなんだと思う。
そんなこと何十年何百年、言われ続けてきたのかもしれないけれど、もう一度改めて。
それを抱きしめるように受け入れることが出来たら、まだまだ未来は捨てたもんじゃないとわたしはささやかに願う。
抱きしめるという行為はそれ自体が全肯定。どんなに想いの丈を語り尽くそうと、抱きしめる以上の愛情表現は見当たらない。
最後に。
最近ふとバガボンドを読み返したくなり、本屋さんで借りて一気に読み返しました。武蔵がグルグルと自分自身の我執と生きていく様に以前にも増して熱いもの、激しいものを感じました。後半になるに連れ、激しさから静けさに変わっていくあたりは本当に言葉では言い尽くせない、作者である井上雄彦さんの全身全霊みたいなものを感じて畏れに似た感情が湧き上がりました。
その勢いで、井上さんの休載期間中を追った「空白」という本を友人の勧めで読みました。
考えてもみると、漫画の連載というのは本当に果てしなく続く”行”のようなものなのではないかと。作者によっても様々なのでしょうが、井上さんは1998年の連載開始から、かれこれ15年以上バガボンドという作品に向き合い続けているという。映画や小説などと比べるのは畑違いなのでしょうが、これ程時間をかけて、一つの作品と生き続けていくというのはどういった心持ちがするのだろう。と
むしろ自分自身と作品との境目がどんどん解け合って切り離すことが出来ない位、自分の中の一部に変わってゆくのではないか・・・
そんなことを思いながら読み終え茫漠としています。
休載期間中に、東本願寺から「宗祖親鸞聖人750回御遠忌」を記念する事業のひとつとして、「激動の生涯を送った親鸞聖人の生き様」というテーマで井上さんに屏風絵の依頼があり、2011年4月。京都・東本願寺の大寝殿にて初公開された時のことがとても印象的でした。
”「いま、いのちがあなたを生きている」”わたしもこの言葉、このテーマにはとても深いところで共鳴を覚えました。
井上さんが屏風絵を描き終えたのが2011年3月10日。翌日に大地震。その後京都での公開を経て翌年、東北・大船渡にある真宗大谷派長安寺でも井上さんが描いた親鸞を展示することになったそう。
何かが繋がっている、何かと繋がっている、または、何かと何かが関係しているような感覚は、今回に限らずつねに思っていることではあります。ただ、今回の震災と僕の絵や作業が繋がっているかというと……そこまで限定的なこととは思えませんね。(中略)
結局完成したものは最初に思ったものでほぼ間違いがなかったんですが、ぐるぐる何周もしたという感じです。やっぱり何周もしないと定まらなかった。そうすることで、きっと何かが違ってくるでしょう。
「2011.4 宙ぶらりんの日々」より
こういった作品に触れ、あたたかな気持ちになる一方で、現実はなんとも言いがたい方向に舵を切ろうとしているという。。それでもまずは笑っていることを日々の目標にしようと思います。
けんかを売られても、それに真っ向から向かっていく必要はないんです。笑っていることで少しくらい小馬鹿にされても。
震災から3年・・・ほんとうに失ったら困るもの。それはなんなのか、もう一度そういったところに立ち返るべきだと感じている今日この頃です。
それではこの辺で。
中條 美咲