答えはいつも外側にあると思ってきた

わたしは今まで答えはいつも外側にあると思ってきた。

自分の中に目を向けたとき、とてもこれだけの材料では答えなど見つからない。と半ば決めつけてしまっていたから、内側ではなく外側に、答えを求めるクセがついてしまっていたのかもしれない。

 

それと同時に最近感じるのは、半分は外側にあって、あと半分は内側にあるのだろうということ。(希望でもあり、勝手な思い込みかもしれないけれど)さらに言うと、内側の”それ”は手間をかけて向き合い育てていかなければ、あっという間に枯れてしまうということ。

もしかしたら半分以上が内側に眠っていて、自分自身でそれに気付かぬまま、いつまでも外側に答えを求めてしまう。そんな人が意外と多いのかもしれないなと思い、今回こんなことを書いている。

 

 

 

内側に潜んでいる彼らに、わたしはまだきちんと会ったことはない。

彼らはとても臆病で、表に顔を出すことを嫌がる。

きちんと目を向けてあげないと、すぐさまそっぽを向いて眠り出す。

とても手間のかかる、大切な存在だ。

 

外側にはいつでもキラキラとした魅力的な破片ばかり散らばっている。

これだけあれば、この中にわたしにぴったりの欠片があるに違いないと。

でも、ぴったりかどうか、判断するのはわたしじゃない。内側だ。

内側が眠ったままでは、それすら気付けず更に外へ外へ。

 

答えは外側でも内側でもなく、お互いの共鳴によって生みだされる。

それは固定された形ではなく、常に変化していく。

だから答えであって答えではなくて。

 

いつまでも答えを求めて彷徨うのか、共鳴によって新しいかたちを生み出すかは自分次第。

 

そんな謎掛けみたいな空想を展開してみる。

 

地を耕すように。キラキラは適度な栄養程度に。

それにしても伊織っていい名前だなあ。響きがとても。

 

 

眠たくて頭が回転不足のためおやすみ、おはよう。

 

それではこの辺で。

中條 美咲