外が暗くなったので、ようやくとりとめのない思いを巡らせようと思う。
思いにはいろんな表現があって、想いだったり、重いだったり、念いだったり、憶いだったり・・・・・・・・・。
つくづく思う。重たくて仕方がないと・・
重たくて、めんどくさくて、懐かしくて捨てがたい。
それが、それぞれの抱える”おもい”なんだろう。
街中の広告で見かけた。感動の極みは”泣ける”ことだ!みたいな文句は嘘っぱちだ。
生まれた瞬間に全身全霊で泣く。光を浴びて。気持ちがよかったろう。
身体のなか記憶のなか、どこかでその気持ちよさを覚えているから、
大人になっても感動イコール”泣ける”ことになってしまう。
それが気持ちいいのだから、それでいいじゃないとも思う。
”泣ける”なんて口にした途端、心の中でうんざりすればいい。
小林秀雄は言った。
”信ずるとは責任をとること”
今まで「責任」という名の元からとことん距離をとってここまで来た。
自分が信じるものを、相手が信じるとも限らないし、共有する必要もないだろう。
それがようやく飲み込める程度には成ってきたので、そろそろ、責任というものに対面してみようと思う。
ただただ信じていただけのところから、信じて責任をとるというところまで。
なにか変わるかもしれないし、なにも変わらないかもしれない。
全く関係性のない点と点が結びついたとき、そこに循環ができればとてもうれしい。
どちらにしても、新たな体験といった感じでとてもわくわくする。
あしたは新月、今夜月は空白に向かう。
中條 美咲