GINZAという雑誌で「岡村靖幸 結婚への道」という連載が随分長く続いている。(印象がある)
毎月読んでいる訳ではないのだけど、毎号様々なジャンルの方たちにそれぞれの考える「結婚・結婚観」についてお話を聞き、岡村さん自身がそこへ向かって近づいていけるように(?)というような趣向なのかしら。と思っている。
今月号は作家、よしもとばななさんとの対談だったのでじっくり読んでしまった。
よしもとばななといえば、キッチンやアムリタ・TUGUMIだろう!あの浮遊感が懐かしく、なによりも響きがいい。
ばななさんの文章は、例えるならば一人暮らしの夏休みの真夜中。人との繋がりが不安定で拠り所がなく、それでいてとてもきれいなものを求めて揺らめいている時や、はじめて自分の中に芽生えた新しい感情に出会った時のような。。なんともいえない絶妙な甘さとこわさがある。
岡村さんは私の中では=”カルアミルクの人”であの曲しかほぼ知らないけれど、まあ一筋縄ではいかないだろう。と勝手に推測をしている。
お二人の話で一番面白かった部分をそのまま引用させてもらう。
よしもと:男の人のいちばん素晴らしい部分って、ある方がおっしゃってたんですが、「ゲロを吐くまでブランコに乗ってしまう」ところだと思うんです。
岡村:突き詰めてしまう部分。
よしもと:そこは、私が男性っていいなって憧れる部分なんですよね。あとやせ我慢とか。これはキツいと思っても、男性はやせ我慢が出来るじゃないですか。そういう力は女性よりもものすごくあるなって。
岡村:女性はやせ我慢はしないの?
よしもと:しません。女性は調整するんです。なんだかんだいって、上手く調整できるんです。
男性は突き詰めてしまい、女性は調整する。
とっても面白いなと。
そしてそれは「ほんとうかな?」とも・・・。
私たちの世代は、なにかと”ゆとり”や”悟り”、”草食系男子”みたいな総称の中成長した。
一昔前まで男性は本当に”やせ我慢する”のが当たり前だったのかもしれないけれど、なんだかわたしにはピンと来なかった。今の、同世代の男の子たちもほんとうにそんな風にやせ我慢できるのかな?って。
それよりもむしろ、びっくりするくらい甘えられる存在(母のような)を求めて止まない。実際甘え上手。そんな部分を抱えたまま(隠すことなく)成人してしまう人も少なくないのではないのかなと。わかりやすいところが、エヴァンゲリオンに登場する碇シンジ君とミサトさんの関係性。
もともとの性質としては、”突き詰めてしまう”要素を誰しもが持って生まれるのかもしれない。
その要素を、きちんとしたカタチで自らの中で成長させることに成功した人は、まさに”ゲロを吐くまで”ブランコに乗ってしまい、結果ゲロを吐こうとも、問題を感じることもなく、更に自分自身の中でどこまでも追求していくことが出来る。実際にそうなってしまった男性に敵う女性はなかなかいない。
ただ、今はそんな風に”突き詰めてしまう”要素も持ちながら、それを幼少期の段階で圧倒的母親という存在を前に、そこから先に進むこと(成長させる機会)を阻まれてしまう少年たちがものすごくたくさんいるのではないかと。ふとそんな考えに行き当たった。
圧倒的母親といっても、私が先日書いた記事「父の日に考える、圧倒的な母親について」に登場するような母親像とは真逆。
とにかく手をかけて、目を離さずに、かわいがって育てる。事前に環境を整えてあげて、さあこの中で自由に遊びなさい。というような。とても熱心で大切に子育てをする。いつまでも見守り続けその腕の中から離さない。子どもにとっても居心地がいいので、なかなか自力でそこを出ようとしない。
上の例えは極端過ぎるかもしれない。ある一方向からの側面でしかないとも思う。
ただ、少なからず昭和初期。兄弟姉妹が10人もいて邪魔だから外で遊んでなさい!という時代に生まれ育った(母親に存分に甘えることができなかった)世代とは、同じ男性でも根本の自己形成過程が全然違うんだろう。
甘えることが出来なかった少年は大人になっても上手く甘える手段が分からずに、やせ我慢をしてその分の欲求を別のところで徹底的に突き詰める。
調べていないので全くの憶測だけれど、もしかしたらそういう世代には”天才”と呼ばれるような人間が多いのかもしれない。(そもそも天才と呼ばれる人の多くは男性)
いろいろ考え始めると一向に着地出来なそうなのでそれを理由にこの辺で終わりにしようと思う。
最後に。
結局何が言いたかったのか書いているうちにわからなくなってしまいました。
「女性化する男性」「今の時代にヒーローは存在しない」など言われますが、その原因を突き詰めていくとその時代時代を生きる母親に大方の裁量があり、その時代ごとの母親傾向が息子たちにどんぴしゃり!と影響してしまう。
今も昔も、良くも悪くも。
なので私たち女性側は今の時代の甘え上手でやせ我慢を知らない男の子たちを、この手で時に突き放したりしながらまた違った方向性に鍛え上げていくことも出来るのではないでしょうか。笑
そしてそれ自体が、女性の”調整する”能力なのかもしれません。
随分傲慢な考えですが…。
後半は大分投げやりなかたちになり反省しようと思います。
それにしても様々な(一筋縄ではいかないであろう)人の結婚観を知れるのはとても面白いですね。そしていつの時代も母親にとっての息子ほど愛しい存在はないということでしょうか。
それではこの辺で。
中條 美咲