建仁寺を心行くまで堪能し、祇園のまちを自転車で駆け抜けながら、錦市場へと先を急いだ。
何故ならば目的の”有次”の閉店時間に間に合うため…。
前回も少し触れたが、京都の夜は早い。寺社仏閣の拝観時間に合わせてなのか錦市場も大抵のお店は18時までには店じまいしてしまう。有次の営業時間は17時半まで。
これでは京都観光の際予定を立てるのに苦労すること間違いない。大抵の人は、寺社仏閣巡りを目的に京都に訪ねてくるだろう。
大体9時頃から16時半、または17時まで。昼休憩を挟んだら頑張って3〜4カ所。移動もあるので4カ所回れば息つく暇もない。雰囲気のいいお抹茶屋さんで休憩などしたらあっという間に夕方5時になってしまう。
それであれば、せめて店屋さんくらい、寺社仏閣巡りのあとの楽しみにとっておきたいと思ってしまうのが我らのような都会に住む欲張り人間の性だが(もちろん都会に限らず欲張り人間は大勢いるだろう)京のまちではそんな欲は一切通用しない。
気持ちいい位、時間までに身の回りを片付け始め、時間とともに消灯。「おつかれさん!」なのだ。
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有次には一応17時ころ到着。市場は町の中でも特に賑わいのある四条通にある為、この辺りの自転車移動は逆に苦労する。
有次は海外勢にも大人気だった。日本人よりも求めてくる人が多いのではないかという位。そして生粋の京言葉の中に英語の接客がばりばり入ってくるのでグローバルだなぁと圧巻された。
周りに圧倒されつつ、そこに並ぶ大小様々な鋭い光を放つ刃物にも圧倒されてしまう。
刃物と言えばどうしても良からぬ想像をしてしまう。それほど今の自分たちの生活の中では鋭くなく安全なものが多いのではないだろうか。
今まではセラミック包丁を使っていた。あまりマメでもなくそこまでのこだわりもなかったので、高すぎず、安すぎず。なんとなく3年程使っていた。
なんとなく使っているものに、もちろんながらそれほどの愛着は湧かない。切れ味も鈍くなって来たので、この辺できちんと心を入れ替えようと思った。それはモノへのこだわり、愛着はもちろんのこと、料理に向かう気持ちというか、姿勢を立て直したいという理由が大きい。
こんなに立派で、その道を極めて来た職人たちが使っているような道具を、こんな素人が手にしようとする事自体、恥ずかしく、恐れ多い気持ちになった。「こんな小娘に何ができる」と彼ら(包丁)からも見向きもしてもらえないような感じもした。
しかしながら、お店の方たちはとても親切で、きっとそんなこともお見通しだったのかもしれない。一番入りやすいであろう、三徳包丁(野菜・肉・魚なんでもこれ一本!)に決めた。全体が鋼のものと、刃先のみ残し鋼の上からステンレスで覆ったものの2種類があり、初心者としては少しでも錆びにくい方がいいだろうということで鋼をステンレスで覆ったタイプのものにした。
会計(現金のみ)を済ませると、奥で日々のお手入れの方法を丁寧に教えてもらった。
研ぎ自体は使用状況にもよるが2ヶ月に一度くらい。刃先が丸くなったら、この位鋭くなるまで。と実際に触らせてくれるが、触ること自体緊張する。持ちをよくするためには一番は日々のお手入れだそう。水で錆びてしまうので、使いながらもその都度濡れ布巾などで水気を取る。使い終わったら、研磨剤入りの洗剤で洗う。柄の部分も。そして水気を拭き取りしまう。そうすれば30年位は使えるのだそう。
わざわざ京都で買うところがミーハー極まりない気もするが、こういう機会でもない限りきっかけもないので、思い切って購入できてよかったと思う。本当に使いこなせるかどうかは、これからの自分次第。
そして店を出るときにはちょうど店仕舞い。
最後に。
そんな風にして、一日目はあっという間に終わりました。この時期の京都は暑過ぎず、夜の鴨川周辺は本当に気持ちがよかったです。
夕食の焼き鳥屋さんには、オーストラリアから来て大阪・京都・広島・沖縄・東京を3週間程の日程で旅行しているという4人組のグループと隣り合わせになりました。カウンターだったので、目の前で焼かれている焼き鳥と焼きおにぎりに興味津々でした。焼きおにぎりは醤油ソースを塗ってご飯を焼いているんだよと拙い英語で伝えたら、こぞって注文していて、口に合うのかな〜と少し不安になりました。おはしの使い方が上手で、とても日本が好きだといっていました。
彼らには焼き鳥じゃ少なすぎないかと思いましたが、大きい身体で焼き鳥を食べる姿がなんだかちぐはぐでおもしろかったです。
伝わったり、伝わらなかったり。でもなんかこの雰囲気が面白い。
どこに行っても言葉が伝わるのは安心ですが、別に全部が全部伝わらなくてもいいようにも感じました。奈良で昼食をとったお店のおばちゃんなどは、通じないにも関わらず果敢に日本語で対応していて、たぶんそれが日常茶飯事なだけに、もうそれでいいんじゃないかと思えてしまうという。
京都、奈良は店仕舞いが早いにしてみても、敢えてそれをこの先も守っていって欲しいなぁと。
商売にはもちろん競争がつきもので、競争するとなれば隙間を見つけてそこに入っていった方が手っ取り早い。どこも閉まってしまうのだからうちはやろう!というところが出てくるのは当然かもしれません。
自由競争だから、それはそれでいいのでしょうが、錦市場のように商売人でありながら、そういうことをせずに店仕舞いをしてしまう。店側がお客(時代)に合わせるのではなく、客側が店に合わせる。
そのスタンスでいいのではないでしょうか。
お金を払って購入・消費するのは客側なのだから”お客様は神様”のように有り難い存在なのかもしれません。しかしながらその道何十年、何百年。プライドをもってそこに向かい続け(売り続けて)きた人々はプロです。わたしたちはそんなプロから、きちんとした使い方、食べ方などの知恵とともに品物を購入するのです。品物の購入だけならこの時代インターネットで1クリックで済みます。
そういったことに対する敬意を忘れ、こちらの都合だけでとやかく言う。そういったことがしばし見受けられる世の中のような気もするので、自分自身への戒めとともにここに書き記しておくことにしました。
そのような信頼関係の中で、商売が成り立っている。一見さんお断りの文化にしても、立ち返ると結局は、人と人との関係の延長が様々な商売になっていく(きた)ということなのかもしれません。
長くなりましたが、ようやく京都1日目が終わりました。
それではこの辺で。
中條 美咲