京都 1日目。まず宇治へ移動して、平等院鳳凰堂を訪れた。
なんでも24年9月から修復工事を行っていた鳳凰堂の拝観がこの4月から再開されたらしい。
平等院鳳凰堂といえば、1万円札の鳳凰、そして10円玉。なんとなく私たちも親しみ?を感じられる。
日曜日だったこともあり、案の定とても賑わっていた。鳳凰堂の拝観は2時間待ちとのこと・・・
平等院ミュージアム鳳翔館もあることだし、出だしなので未だリズムも掴めない。とりあえず鳳凰堂のチケット(別売)を購入し、一通り鳳凰堂の外観を鑑賞・撮影し、気持ち的にはなんだかあまりパッとしない。もちろん美しくて立派なのだけど…。2009年のCasa10月号「京都入門。」でPRADAとコラボした、修復以前の色褪せ、雨風を浴びに浴びた平等院の方がずっとかっこよかっただろうに…。
そんなことをいったところで後の祭り。だって今朱色に輝くピカピカな姿が当時の極楽浄土を現すお姿だったのだから。この姿もあと50年もすれば同じように風化する。
そう考えるとこれも貴重だなと思う。
そうしてミュージアムへ。ここは入り口の佇まいがとてもいい。どちらかといえば近代的な建物なのだけど、内部の通路が居抜かれていて光がいい。
最初の展示室の中央に対に向かい合う鳳凰。こちらが”ほんもの”だそう。
メインの展示室、視界に飛び込んでくる木造雲中供養菩薩は見応えがあった。1体ごと動きにユーモラスがあって楽しい。52体のうち26体がこちらで見られるのだけど、どの菩薩さんが自分に似ているだろうと探してしまう。
九品来迎図もそうだけど、まるで映画「かぐや姫の物語」の最後の場面をそのまま見ているみたいな気持ちになった。
一体高畑監督はどれほどこのような知識を溜め込んでおられるのだろうと。
展示室を抜け、階段を上っていくと一気に明るく開放的なミュージアムショップに出る。
ミュージアムを出て、鐘の元で少し休憩。ここからの眺めが気持ちいい。
周りをさらさらと流し見て、ようやく鳳凰堂へ。
一度に50人ずつ。塗り立てほやほやの柱、檜のいい香りがした。
本堂の中に上がる。とても大きな金色の阿弥陀如来座像。
本堂の中だけは時間が静止しているみたいだ。
豪華絢爛に囲まれていても、静かに座している阿弥陀様。当時からたくさんの人が極楽浄土へと信仰に訪れたのだろう。
うそものみたいな立派なハコモノを作り、「どうかどうか極楽浄土へ。」
今の時代では隅っこに追いやられている(養老さんにいわせれば「無宗教の”無”は般若心経の”無”。日本人の骨の髄まで染み込んでいる」)仏教。
極楽浄土を信じるか信じないかはまだわからないけれど、九品来迎図には死後のお迎えの仕方が9通りに分かれて描かれているらしく、9通りあるのならせめて上から4の上くらいまでのところで迎えてほしいなんて思ってしまった。
つづく。
追伸、 宇治の表参道は宇治茶のとってもいい香り。こんな香りのお茶をゆったり飲めたら随分な贅沢だ。せめてもと、互いの両親に「長寿」という名の茶葉を購入。
本当は朝一で宇治手前の駅で下車し、美味しいと話題のパン屋さんに並んだこともあり当初の予定を大幅に押してしまったなんて誰にも言えない…
それではこの辺で。
中條 美咲