随分遠回りをしての帰宅。
鍵を忘れたのは今日で二回目。
最近やたらと神や仏に興味津々ですこしだけ困っている。
元々持っている素質?なのかもしれないけれど割と宗教とか目に見えないものに対しての許容範囲が広いのかもしれない。
心底それに心酔するってほどではないけれど、そういうものに心を奪われる気持ちもそこそこ理解できる。
むしろ意識して心酔しないように抑えているだけで、実はもの凄く嵌まってしまいやすい質なのかもしれない。
10代の頃、結婚したら女の人は変わってしまうと思っていた。好きなアーティストや、作家さんの作品に今までのような鋭さがなくなり、なんとなく丸みを帯びたものになってしまうんじゃないかと…。
それが寂しくもあり、羨ましくもあり、作品としては、一番初期の一番不安定で鋭いときが良かったなんて思い込んでた。
結婚して一年。旦那さんと知り合って4年が過ぎた。
変わったか変わってないかと聞かれれば、間違いなく変わった。
愛してるでも苦しい程好きでもなく、愛おしいという感情を知った。
外へ外へ広げなくても、ここに育てるものができた。
それと同時に、ひとりの人間としての生も全うしたいと思う。
広い社会に必要とされたり世界の貧困に苦しむ子どもたちは救えなくても、せめて、じぶんの両親や関わりを持った人たちに何かしら出会って良かった。と思ってもらえるくらいの人間になりたいと思っている。
でも、自分が突き詰めていきたいことはそれほど歓迎されることではないかもしれないし、何も生み出さないかもしれない。知らない間に誰かを傷つけていることの方が多いのかもしれない。
人間の業にはキリがない。厭と思えば、世間からはじかれて、良しと受け入れられる程、成熟もしていなくて。
せめて、気付いてしまったからにはとことん向き合ってみたいと思う。
争いはキライといいながら、本当は対峙してとことん突き詰めることで満たされる人間なんだ。
おっきなおっきな欲も抱えてる。
いずれこの欲は手放したいけど、矛盾は正すのではなく、最後のギリギリまで抱え込んでおかなくちゃと思う。
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し 空海
何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる 西行
最近頭の中を巡っていることばたち。
言葉には強い力がある。それを理解するのが今なのかもしれない。
最後に。
かなりアクの強い文章になってしまい反省(後悔)しています。
本当は晒すべきではないのかもしれないのですが、溜めておいても始末に困るので、ここで晒して、毒が抜けるのを待つことにしました。
遠回りの最後の坂道で、久しぶりに虹をみました。
灰色の雲と白色の雲が混じり合って、遠くの空へ流れていきました。
溜めや留めも物事に応じて必要でしょうが、基本的には流れゆくのがいいなーと思います。
やっぱりもっと広く深く穏やかに、バランス感覚を養いたいです。
そして佐野さんくらいさっぱりと歳をとりたい。
それではこの辺で。
中條 美咲