目が覚めそうになって、布団のなかでグズグズしているうちに深い夢に沈み込んでいくことがよく、ある。
時折、自分でも驚いてしまうような、現実とはまったく結びつきもしない唐突で不可思議で、2時間に及ぶ映画を見ているような、よくできた夢を見ることがある。そのような夢たちは、一体どこからやってくるのだろう?
茫然と起き上がり、先ほど沈み込んでいた物語について、とりとめのない回想をめぐらせる。
場所は東欧かポーランドあたり。(行ったことは、まだない。)
深い木立ちに囲まれた陰影のある森の中にポツリと一軒、民俗資料館のような、博物館のような建物がある。大層な佇まいではなく、森の中にひっそり佇む山小屋のような印象だ。入館して受付の窓口で提示される入場料金は驚くほど高い。日本円で7,000円程度だったか。言葉もわからないし、言われるままに各自支払いをして館内に進んでいく。まったく想定もしていない価格に、躊躇して入場を諦めた者もあった。
裏寂れて軋む廊下を進んでいくと、動物の剥製や昔の衣類、暮らしの道具などが雑然と並べたてられているばかり。時計の針が止まったままのような、デジャヴ感のある展示施設。このような内容で、7,000円の入場料をとっているのだろうか?気持ちの不安は募るばかり。
階段を登って建物二階部分に進んでいくと何やら様子がおかしい。一階とは明らかに様子が異なり、先ほどとは別の不安が押し寄せるとともにたじろぎ始める。そのあたりをどのように言葉で伝えたらいいだろう・・・。
ざっくり定義すると、ここはカラクリ屋敷だった。昔、このあたりには魔女がいた。女たちは、魔女になるためにいくつもの儀礼を通過する必要があったらしい。その時の訓練施設のような場所として、かつてこの建物は存在していた。テレビなどでよく、宇宙飛行士になるための訓練の様子を取り上げた番組があった。体力・精神力・集団で生活していくにあたって、適正な能力を鍛え上げ、厳しい試験を通過したものだけが宇宙飛行士になることを許される。魔女と宇宙飛行士になんら関係はないのだろう。けれど、彼女たちもまた、かつてはあらゆる場面で体力・精神力・心性を試されたらしい。そして、現代に残された「カラクリ屋敷(仮)」では、来館者たちが、魔女になるための試練の一連を体験し、最終的に判定結果が公表される。現代の技術も取り入れた一種のエンターテイメント施設として、旅行客の間で密かに話題になりつつある場所だった。
試練は全部で5つ程度だったろうか。そのなかで記憶している内容は3つほど。
2畳ほどの細長い部屋に閉じ込められ、壁に開けられた小さな穴を覗き込む。覗いた先には、自身の瞳孔が鮮やかに映し出され、飲み込まれるような迫力で迫ってくる。投影された自分に自分自身が飲み込まれていくような、精神破壊チックな側面がなくはない。
そこからの記憶は少し朧げながら、一階へと下っていくと湖の上に掛けられた渡り廊下に出る。そこで突如、賑やかなカーニバル、騎馬戦のような猛々しい戦いが勃発する。ここは東欧のはずなのに、騎馬を組む大勢の人々は、原住民のようだった。
湖に架けられた渡り廊下に柵はない。騎馬たちは左右から勢いよく迫り来る。湖面の水はうねるように躍動して飛沫を上げる。祭りの混乱、波に溺れずに通過すること。それが、ここでの試練だった。そうして最後の仕上げは、ますますアクロバティックになっていく。(もはや、ここが魔女の訓練施設だったという設定自体も怪しい。)サーカス団でもないのに、挑戦者は宙づりのワイヤーで大きく上下に振り子され、投げ出される。投げ出された時、バランスを崩さずに二回転くらい宙返りをして、きれいな姿で着地する。もちろん着地の出来も人それぞれだ。
すると、そこは広間のように開かれた空間で、以前の挑戦者たちなのか、たくさんのオーディエンスが賑やかに迎えてくれる。振り返ると大きなスクリーンに、自分のスコアが表示される。なかなか悪くない。むしろかなりの好成績。夢のなか、私の魔女への扉は開かれたかのようにも感じられた。
会場を後にすると、もとの木立ちのなか。先ほどの賑わい、大げさな仕掛けの気配もなく、私たちはその森を後にした。というよりも、うまい具合に場面はスルリと移り変わる。
終わりもはじまりもなく、唐突に。夢はいつでも漂っている。
漂っているその場所はどこだろう?自分自身の深層だろうか。意味づけは難しく、脈絡を導き出すのも困難だ。実体験という定義の曖昧さ、夢という物語のまだまだ解明が尽きない深層へ、沈殿するような眠りのなかで唐突に遭遇することがあれば、その時はまた、挑戦してみたい。
布団から抜け出した頭でぼんやり、そのようなことを決めてみた。