だれのつくったものでもない自然、とともに

その日、北海道で起きた地震のことを知ったのは、羽田空港へと向かう電車の車内。早朝のことだった。

無意識に開いたスマホの画面に映し出される災害速報に、内心どきりとしたものを感じながらも、空港に到着。新千歳空港行きの飛行機は欠航が相次いでいたけれど、旭川行きは運行している。事態の全貌は見えてこないけれど、同じく北を目指す人たちに促されるように、私たちも搭乗手続きを行なった。

当日の目的地、北海道下川町でゲストハウスを営む友人に連絡したところ、「全然大丈夫です!」「下川は電気が止まっていますが本日中に復旧すると信じています…」と、返事が届いた。ひとまずのところ、それほど深刻ではなさそうな様子に安心。当日の宿泊先が友人の営む宿であったこともあり、予定を取りやめる気持ちには至らなかった。新千歳行きの便が欠航し、飛行予定の機体の移動や、搭乗を取りやめた乗客の荷物の積み下ろしなどを行った関係で、定刻から40分ほど遅れてJAL551便は飛び立った。

移動中、何気なく持ちよった一冊の本を読み進めていると、以下の文章に行きあたった。そろそろ旭川に到着しようかという頃。その文章に触れて、私は思わず泣きそうになった。少しばかりの緊張と不安を感じていた心身は、とてもシンプルな二行の言葉にすっぽりと包まれた。

1  〈原子の川〉 だれも人のいない野原を、川は静かに流れます。川はだれのものでもありません。川も美しい虹も、だれのつくったものでもない自然そのものなのです。

何でもない古代の風景を語る短い言葉は、多様化した現代人へ、迷走する現代人へ向けられていると僕は感じたのだった。それは時が経つほどに静かに鳴り続けなければならなくなる鈴の音のようだ。野原も川も海も誰かのものになってしまい、月や火星まで誰かのものになりそうな昨今である。

2   〈古代の中洲と河原〉 人の生活がはじまります。人の力のおよばない自然の世界と人の住む世界。中洲や河原はその二つの世界の境にあると考えられていました。そこは、あの世とこの世の境でもありました。そして虹は二つの世界を結ぶかけ橋でした。

人の力のおよばない自然、それを神秘的な場所として生きてきた人間の、あの世とこの世の境とする考えは、幸いと災いが入り混じって、行ったり来たりしているように感じられた。

 

ー「網野さんのこと 歴史を旅する絵本」司 修
『現代思想』2月臨時増刊号
総特集|網野善彦|無縁・悪党・「日本」への問い

私は、ここに語られる〈原子の川〉という表現が、北海道という雄大な大地にぴたりと当てはまるような気がしている。誰もいない野原の割れ目にはいつしか水が流れ出て、川ができ、たっぷりとした湖が現れた。その当時、人間たちがこの地に訪れるずっとずっと前から、魚や鳥たち、狐や鹿や熊など、多くの生命の気配に満ち溢れる場所として。

例えば、ひとつ。

原子の自然を敬いながら暮らした人たちの知恵は、アイヌの文化に代表される。

彼らの生命の捉え方、自然への祈りや祝祭の方法は、生きることへの喜びや慄き、純粋な欲求をまっすぐと表現しながら暮らしに取り込み、口述によって伝承されてきた。

しばらくのあいだ、差別や偏見によって覆い隠されてきた「アイヌ」でもあるけれど、時代が一巡していくなかで、遠く離れることによってむしろ、鮮明に感じ取れることがあるだろう。

 

飛行機よりも速く、一瞬のうちに距離を飛び越えられる「文字」というツールと、「文字」のようなかたちにはなり得ない密接なコミュニケーション。そうした文化が脈々と伝えられていたのだろうなぁと、網走の北方民族博物館で記録映像に釘付けになる。

映像に映る人々は、子どものように屈託もためらいもない。クシャクシャっと笑い、目の前の遊びや暮らしに熱心に取り組み、全身全霊に生きている。人生はもっと単純で、身の回りの衣食住と密接につながる毎日は、厳しくも豊かだったろう。

現代の暮らしでは、たった一日電気を使えないだけでも、多くの弊害をきたしてしまう。そうした不便や弊害を忘れたわけではないけれど、友人たちの案内で訪れた展望台から眺めた、パッチワークのような下川の森の姿に、私は不安よりも未来を感じた。

パッチワークのように見えるのは、年代別に木を植え伐採し、人の手が介在している標。

そのまま、電気は復旧することなく日が暮れた。

暗闇一面に広がる天の河を眺めながら、薪ストーブとろうそくを灯して過ごした下川での一夜が忘れられない。どうしてこんなに鮮やかなんだろう、と。

そこで感じた鮮やかさは、もしかすると、原子の感覚に少しだけ近かったのかもしれないと、いまでは思う。

地震の影響によって閑散としていた知床の地、いつどこでヒグマに出会ってもおかしくない森のなか。出会ってみたい、そっと遠くから感じてみたい気持ちと、ほんとうに出会ってしまったらどうしようという、どきどきした気持ち。オロンコ岩に巣をつくるたくさんの海鳥たちや、あかくあかく、沈んでいく地平線のむこうの夕日。

船に乗って海に出ると、岩の割れ目のいたる所から滝が流れ海へとつづく。海面にうねりが生じ、群れをなしたイルカたちは、船が起こす波と戯れる。

それらはいずれも、知床・斜里町の人たちにとっては身近な日常。

「旅」という距離感と、「日常」という近さのあいだ。私はどうしてこんなに北の大地に胸踊るのだろうと、3週間経ってもまだ、回想している。

そして気がつくと、9月も残すところあと2日。今日は、下川に暮らす彼女の27歳の誕生日!

距離を越えて、日常をつなぎあわせ、北へ北へ。

私はきっとまた、北海道へ行くだろう。