世の中には知れば知るほど、興味をそそられる人や、関心を掻き立てられる人、ぐーっと掘り下げて対峙してみたくなる相手はいるもので、ハンナ・アーレントは、そんな魅力と謎に満ちた女性のひとり。
願わくば、徐々に徐々に近づいていき、どこまでも透明なまなざしとして、彼女の眼に映る景色や頭の中で組み立てられる様々な断片に触れてみたかった。そこではどんな日常が、思考が、なされていたのか、どういう現実と、向き合い続けた人生だったのだろうかと。
みすず書房から出版されている、矢野久美子さんの著書『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』を読んだ。昨年春から継続して読み解いている『人間の条件』の理解を深めようと手に取った一冊だったのだけれど、そこで彼女について描かれる断片、断片はとても凛々しくて、ますます関心を寄せずにはいられない。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」の流れの速さや、「かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」の飛沫のような軽やかで淡いネットワークが日常と化すなかで、(私たちはむしろ、それ以外の日常は知らないとも言えるのだろうし)ひとりの人間の短い一生のなかで成せる事柄については、何かを始める以前からすでに懐疑的になっていくばかりの〈わたし〉がぽつり。
大きな物語が世界を圧巻するような時代でもないしな。と、”物語”というものが持ち得た効力や、そこへ寄せる羨望はいつの間にか小さく萎んでいくばかりで、どうにかしたいはずなのに、その姿をただただ感じながらも季節はめぐり、そういえば新しい年を迎えて2017年。
今年はひのと。太陽と月でいえば月の一年。夜道を歩くときのように何事も慎重に慎重に。って、お寺の和尚さんが言っていた。というのはちょっとした余談。
この本の著者である矢野さんは、「結論に代えて」のなかで
もし本書が、アーレントが思考している場所を探すものであったならば、わたしの企てはすでに論理的に破綻をきたしているだろう。というのも、アーレント自身が、「思考するときは、わたしはどこにもいない」と断言しているからである。……
と語っているけれど、”思考している場所”という表現にまず頭がくらくらした。
ちなみにアーレントは「思考」は職業的哲学者の特許ではなく、普通の人びとがひとりひとりで日々おこなっている精神の営み。だからこそそうした精神生活と複数の人びとが共有する「世界」との関連を考察したのだそう。
自分が日々、漠然と受け止めている「政治」という言葉に思うイメージと、アーレントがいうそれが全くといっていいほど違って色鮮やかに、たくましく感じられるのもうれしくもあった。
「政治」は「絶対的差異」のある複数のひとびとが共有する《あいだ》としての「世界」をかたちづくる。
《あいだ》という曖昧でかたちにもならず、その都度変化していくけれども、重要なそれが「政治」という言葉で語ることができるというのが驚きだった。
そういう思考を背景にしたときに、「どこにもいない」といいながらもどこまでも「政治的思考の場所」だったのではないかという矢野さんの指摘は、そういうことか!と目からウロコ。
アーレントはどこまでも複数のひとびとが共有する「世界」のなかで、思考をしていくことが大事と考え、実践していたんだと思うと男らしさが凄まじい。
とりわけ、わたしがこの本のなかで光を感じたのは、巻末に引用されている1964年のインタビュー「〈公的領域への冒険〉(ヤスパース)はアーレントにとって、いかなる意味をもっているか」という問いに対する彼女の返答。
〈公的領域への冒険〉の意味するところは、わたしにははっきりしています。ひとつの人格をもった存在者として、公的領域の光に自分の身をさらすことです。(中略)
第二の冒険は、われわれがなにかを始めるということです。関係性の網の目のなかに、われわれが自分自身の糸を紡いでいくということです。それがどのような結果を生むかは、われわれにはけっして分かりません。それゆえに、われわれは皆からこういうように仕向けられるのです。「主よ許したまえ。かれらはその為したることを知らざればなり」と。これはすべての「行為」についてあてはまることです。その理由は単純明快で、それを知ることができないからです。これはひとつの冒険なのです。そしてここで、この冒険は複数としての人間を信頼することにおいてのみ可能であると申しあげておきたいと思います。つまり、なかなかそれとしてイメージを結ぶことはむずかしいけれども、根本的な意味であらゆる人間が人間的なものにたいして信頼をいだくことです。そうでなければ冒険は不可能です。[強調は著者]
たとえば、わたしの人生もまたひとつの冒険として。
人間的なものにたいして信頼をいだくことを手放さずに、わたしたちもまた、自分自身の糸を紡いでいく行為を遅かれ早かれ始めなくちゃいけないんだと、アーレントにポーン!と背中を押してもらった気分。
始める前から絶望している場合じゃないない。