春と夢。

途切れ途切れ、夢をみた。
とても長いようにも感じるし、短くて切れ切れの断片のようでもある。

夢のなかではいつも、「わたし」という意識は存在するけれど、意識以外の実体を捉えることはむずかしい。

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現実でも付き合いのある馴染みの人たちの姿は、視覚的に捉えることができる。
それなのに、「わたし」の実体はそこには存在しない。

存在する意識と、実体のない「わたし」。
だから夢は、映画を見ているような、ものがたりの世界に入り込んでしまったような、
現実を離れた感覚でそこにある。

桜の花がもつ香りは、人を憂鬱なきもちにさせてしまうことがあるらしいと話に聞いた。

調べていないので、ほんとうかどうかはわからない。

けれど、春に憂鬱な気分になる人が増えるのは、あり得る話だなぁと思う。

 

わたしも実は、春が苦手だ。

春というよりも、季節の変わり目がとくにそうかもしれない。

 

夏から秋にかけての切り替わりと、冬から春にかけての切り替わりはとくに。
否応無しに、心許なさがぐっと強まる。

気持ちが不安定になって、淡々がしんどくなって、地面に括り付けられた凧ひもを”ぷつり”と
ハサミで切り離してしまったように、どこに飛ばされてしまうかわからない状態になる。

お日さまの力が偉大なのか、それ以外のなにかの仕業かわからないけれど。

冬から春はいつになく、きもちがざわつく。

気がつけば夕方の17:30を少しまわる。

2015.9.10に書いたメモを貼り付ける。
時折、こんなふうにあらゆるものがつながって、膨張していく。

おそらく以前にも一度、載せていた文章。
わずかな一端を書き換えながら、そのときと今を行き来する。

・・メモ・・

目が醒めるように忘れていた記憶を呼び起こされることや、わからないと思っていた全てを走馬灯のように、受信してしまったりすることが時にある。

知ったつもりでもわかったわけでもなく、ただただ感じ取るという表現の方が近いのかもしれないけれど、その感覚を自分以外の誰かに伝えるのはとても困難なことでもある。
むしろ伝える必要なんてないのだと思う。

昨日の今日で人生が変わることなどあり得ないことはわかっている。
表面的な意味合いにおいては特に。
この体は半年、一年、五年、十年の時を包括しての今だから。

けれど、感覚は時に驚くような飛躍を行う。
誰がなんと言おうと、わたしはもう昨日までのわたしではない。という感覚を遂げてしまえるのが、ヒトの持つ感覚の不確かで、奇妙でたまらなく面白い現象なのではないだろうか?・・・なんて。
随分都合のいい戯言にすぎないのだけれど。そうとしか言いようがないこともある。

「わたしは遠くに来てしまった」

それはもう承知している。
遠くに来てしまったけれど、それは戻れないを意味を表すのではなく、
「遠くまでいけるようになった」という表現の方が確かな気がする。
そう。わたしは随分、遠くまでいけるようになりました。
でも、いつでも戻ってくることができる。
それはここに、確かな存在、豊かな土壌があることがわかっているから。
ここと、遠くのあの場所を比較するのではなく。

ここもいいし、あちらもいいね。
違いが明確に見える分、それぞれの風土の持つ良さを感じ、共通点を見つけ、ちがう理由をみつけだすことができる。

あちらはこうだったのに・・・どうしてこちらはこうじゃないのか。
それはある時点までは重要なことだったけれど、これからはそうじゃない。

島の地形。山の膨らみ、川の広がり、海の揺蕩い。
ふくらみ、言い換えれば隆起。
連なり、繊細に折り重なる色合い、谷間、揺れ動いていくもの、静まり返っている場所、
緩やかに、大胆に、通り過ぎていく風景。
均質化できない、地平線に広がってはゆかない、うねりや、蓄え。
開いたり閉じたり、流れたり寄せ集まったり、

変化していくいろ、ひかり、こころ、きせつ。
ここに在る必要性、ここにいる必然性。作り上げては壊しつづけ、創り上げては壊しつづけ。
途方もなくつづけていく。きっちり、でもなく。整えながら、積み上げていく。

わたしは感受する。ただただ受け取るばかり。
こころで受容するとはどういうことか?わたしは感応し、こころで受容する。
そうしたことに徹底してみる。
役割は受け取ること、受け入れること。発信が目的ではない。

人の声ばかり聞いていたのでは仕方がない。土地の声、月や海、森や木々の声。
かれらの呼吸を感じてみたい。
そんなことができるだろうか?できるといいな。していきたい。

遊ぶように学び、感じることを育てる営み。
たのしみながら生きる。感動しつづけること。感じ続けること。地球の営みを知り、感謝すること。そうした気持ちの成熟。

気持ちが成熟する社会。

母のいる海。海の中に母がいる。
星々や月の満ち欠け、

いきもののある姿を求め続ける。
戻るのではなく、与え続ける。

まだまだしばらく、この旅は続きそう。今は自然が、味方をしてくれるから

・・・

身体とこころをつなぎ合わせる。

身体は素直で、こころは時折、宙を舞う。