屏風のように正面にそびえる山並みの向こうに暮れていく日と、
ほのかに醸された夕暮れのあかもいよいよ引いていく。
場所から場所への移動と、この間(一連のここまでの流れのなか)に感じた気持ちや思いを自由に行き来させる行為は、少しだけ似ている。
2015年の幕引きと、2016年の幕開けという境。
グレゴリオだけど、人々のきもちは嬉々として空中をたゆたうばかり。
はげちょびんの冬の夕暮れはあおから紫、うすぐもり。
この一年がどんなだった振り返ってみても適切なことばは宙ぶらり。
ことばを紡ぎたいわたしが、どうしてことばを紡ぎたいのか、なんのために紡ぐ必要があるのか再三ぶち当たり突きつけられて。
さいごにがつん。現実の暮らしがなんであるのか、頭をこつこつ叩かれ、あわてて振り向く。
そんなあれこれ考える暇があったら次、その次と、ことばを超えて表現したり生み出している存在に体当たり式に出会うたびに踏ん反り返って、打ちのめされて。
しまいにはなんてことのない日常の場面に延々のつながりをみて、
ぽろぽろすんすんたくさんの涙を流しました。
感動とも、悲しみとも、よろこびともちょっとちがう、ある種の浄化効果満載のしょっぱい体液。
人間の感情の幅と奥行きと彩りを通過して正面から体感したようなたい”へん”におもしろい半年プラス助走期間。
すなおで、ひねくれていて、透き通っていて簡単には折れないまなざしとこころがあると、
きっと人生はいつだって全力でたのしめる。
そんな人たちに出会って勇気をもらって、もうすこしだけ、もっと柔軟に、
自分の歩き方でこの道を進んでみたいとそう思ういま、光は闇に溶け込んで紺。
わたしのふるさとは一生かけても踏破できそうにない、威厳を持った北アルプスの麓ということを、あらためて実感せざるを得ない、暮れの記録。(写真は”特急”あずさの車中から。)
肝心なときに、伝える手段が見当たらなくて、いちばんちかいのに分断されてしまうのは悲しすぎる。
まだまだ修行の道半ば。
誰のため、何のため、そういう理由は歩きながら解きほぐしていきましょう。
そうして漆黒にきらめくお星さまは、一際きらきらまたたいたりもして。
あといくつ寝るとお正月…
「喜べば集まる!」
来年も皆さんにとって、よいお年でありますように。