購読している毎日新聞では、日曜の朝刊に「今週の本棚」という特集があります。
その中で、山崎光 絵・山崎佳代子 文(西田書店)『戦争と子ども』という本への池澤夏樹さんによる書評に目が止まりました。
生きる意味追求 無意識の領域揺さぶる
一冊の本が作られるまでにはさまざまな経緯があり得るが、この本ほど劇的なものは珍しい。(中略)
記憶はやがて文章化され、それと子供の絵を合わせて本にするという企画が生まれた。その成果がこの本である。
まず絵に驚く。奔放で、奇怪で、不安に満ちていて、それなのに何か温かいものが脈々と流れている。ストーリーがあるように見えながら、見え隠れするそれは決して一つに繋がることはない。書かれなかった物語の挿絵のよう。
彼自身が一五年後にこう書いている。ーー「この絵本の中では、何か重要なことが起こっている雰囲気がする。まだ何なのかわからないけど、重要だということはわかっている。ずっと秘密にしていた、何か大きなことが、見つかってしまう瞬間を目前にするように。あるいは、新しいものの秩序が、公表されていく瞬間のように。とにかく、それはこれからは全てがすっかり変わってしまった、と後に言える瞬間」
なぜこの一群の絵に母親である詩人は難民たちの話を添えようとしたのだろう。
これらの話は奇怪ではない代わりに悲惨で、不安に満ちていて、それなのに何か温かいものがある。つまり絵と同じ素材でできている。二つは互いに助け合って一冊の本を成している。(中略)虹のお家は美しいけど
その心は悲しかったそこから子供たちが
ひとり残らず
追い出されたのだもの一九九五年の夏、クロアチアから二十二万人のセルビア系住民が追い出されて難民になった。部外者である我々はその惨状を想像しようと努力しなければならない。敢えて言えば、この世界には部外者というものはいないのだから。すべての人は繋がっているのだから。
セルビアの側のある町で、一人の主婦がたくさんの人が逃げて来るのを茫然と見ていた時、娘が怒って言った ーー「おかあさん、何をしているの。ただ悲しんでいるだけじゃだめよ。何かをしなくちゃ。お鍋にいっぱいお豆を煮て、体育館に持っていくだけだって、何かしたことになるのよ」
この子もまた一二歳だった。
これをきっかけに彼女たちは一人のお婆さんを家に引き取り、その人の娘さんと連絡が取れるまでの九日の間、一緒に暮らした。(中略)このお婆さんの名はマーラ・ムルジェノヴィッチ。ちゃんと記憶され、伝えられ、この本の中に記されたこの名が美しい。人に名前があることの意味がわかる。
絵について言い足りない。絵は引用できないから。それならば書いた本人の言葉を引こうーー「透明の翼をもつ人が、高台の上に立って、彼の影が高台からはみ出て鳥になる。高台の反対側には、扉があって、それは女の身体である。その扉は開いていて、その中には、小さな猫がいる。話は絵よりも不思議」我々は知らぬ顔をしているが、内戦と難民は過去のものではない。シリアに見るとおり、現在の問題、未来の問題である。そして子供もその渦の中にあるのだ。
ーー 池澤夏樹評『戦争と子ども』山崎 光 絵・山崎 佳代子 文
2015年11月15日 毎日新聞
「今週の本棚」より
三十年以上前に、セルビアに渡って結婚した詩人の子どもが、内戦が続くセルビアでひたすら描いた絵とそれに付随させた文からなるお話なのだそう。
世界中がまたも、動揺と不安、恐怖のような感情に覆われてしまったいま、
とてもだいじなことが詰まった内容と感じたので、ここに引用し、留めておこうと思いました。
この世界には部外者というものはいなく、すべての人は繋がっているという感覚であったり、人に名前があることの意味深さ、ちゃんと記憶され、伝えられ、記された名前の美しさ。
女性の身体である扉は開かれていて、その奥に描かれた絵とお話の不思議について・・・
現在の、未来の、そしていま、渦のなかにいる子供たちへと想像力を巡らせて。
拒絶や排他、見えない境で切り離し、憎しみの連鎖を重ねるではない方向へ、目を開くにはどうしたらようだろうかと。
きれいごとの先にはなにがある?・・・
” とにかく、それはこれからは全てがすっかり変わってしまった、と後に言える瞬間 ”