日本最古の演劇論『風姿花伝』とは

『風姿花伝』この言葉は耳にしたことがある方もいるかもしれませんし、初めて耳にされる方も多いかもしれません。

今回は雑誌『和樂 3月号』内のシリーズ:私たちが「残したいニッポンの美」という特集の中で『風姿花伝』について能楽師 観世清河寿さんがとても綺麗な言葉で語られているのでその内容を引用させて頂きます。

ただここに載せる文章は観世さんが語られている中で特に気になった部分のみメモを残したものになるため抜粋させて頂く。という方が正しいかもしれません。確か2〜4pに渡って特集されていました。

『風姿花伝』 日本最古の演劇論

観世清河寿

つくづく、人が生きていく上で本当に大切なことは、600年以上前の時代から何も変わっていないのだと感じます。

「どんなに時代が移り変わっても変わらないもの」がこの国における、本当に美しいものではないでしょうか。

そしてそれは特別なことではなくむしろその多くはありふれた日常の中にこそ見いだされるものなのです。なぜなら人生は日常の連続にほかならないからです。

人が生きてゆくということは、食物の命をいただくこと。
秩序や規範を重んじ、贅よりも簡素をよしとする。小さなことをおろそかにしない。それが人であれものであれ、敬いの心をもって礼を尽くす。

草や木に宿る命を思い、目に見えぬ畏きものを感じて、素直に手を合わせ頭を垂れる。
日本人というのは古来、そのような感性をもって生きてきた民族です。

ことごとく日本の伝統の世界は、その剛と柔が一体化して成り立っています。
つまり型と心は切っても切り離せないものなのです。型だけではからっぽになってしまいますし、どんなに心があっても形にしなければ伝わらない。
美しい型にはおのずと美しい心が宿り、逆に美しい型となって表れるのです。

ものごとはあるべき姿、形というものがある。
そういう理を知ることが、日本という国の美しさを知ることにつながってゆくのだと思います。

ー引用元 小学館発行「和樂」3月号

ほんとうに。この文章だけで十分ですね。

観阿弥・世阿弥とは教科書で出てきた人。という程度の認識でしたが内田樹さんや白洲正子さんも能楽を行っていたことから一気にお能へと興味関心が向かっていきました。

ここでは『風姿花伝』の内容については触れていませんが必ず読みたい一冊になりました。

 

まだなにも知らず触れたことのない世界ではありますが、これを機にお能を観る機会を作れたらいいなと思います。

最後に・・・

残念ながら、そしてありがたいことに、人の生きていく上での本質は600年経った今も当時とそう変わらないということです。

些細な変化を感じ取れる日本人の感性は春夏秋冬の季節からきているのでしょうか。

その他にもたくさんの要素があって培われた感性かと思いますが、いずれにしてもとても素敵なことだと思います。

またこの先600年と伝わっていくようにこのような感性をどれだけグローバル社会になろうとも、守り伝達していかなければとも思いました。

色々なところへ旅行したり、新しい刺激を求めて仕事を変えたり人と出会ったり。外へ外へと目を向けてしまいがちな自分自身ですが、ひとつの場所でひとつのことをやり続けている人はとても強いなあと改めて感じます。

自分に不足した部分なのでより、そう感じるのかもしれませんが。

観世さんが語るような姿勢で、4月から少しづつ形をつくっていければいいなと思いました。

それではこの辺で。

中條 美咲