こんばんは。
夜も深い時間。途方もなく電気を消耗する日々に逆戻り。ヨクナイ、ヨクナイ。。。
まだまだ旅の気分を抜け切れていない時分に、昭和村で取材したからむしの記事を書き起こしたり、レポートをまとめたり、現地で興奮して反射的に受け取ったのとはまだ違うかたちで、ひとつひとつ、一期一会を振り返っています。
きちんと振り返るごとに、少しずつ染み渡っていくので、やっぱり受け取って終わりにするのはもったいないなぁと再確認して、今後はどうにかこうにか、そうした土地の人たちのことばや暮らしの景色を発信していけるような土俵をこさえてみたいなぁと、もくもくした構想は膨らみながらも、現実的な段階を億劫に感じて、もくもくもくもく…。まだしばらくこの雲は、肥大化していくことが予測されます。。
そうして、思うのは、必ずしも” 取材 ”というかたちで、スポットを当てるばかり(向かい合わせ)じゃなくて、もう少し寄り添った感じに、それこそ自分自身が何かを感じ取って、感じたまま紡ぎ出して、そうした” わたしから見た景色 ”というお皿に乗せて、現地の人にお見せして、また何かをそこから感じてもらって、そのやりとりを何回か重ねていきながら、少しずつ目線や向かう先は同じ方向を向いていくようなやり方。
そういう積み重ねをしていけたらいいなぁと、思いました。
(もう既にここの場でこそこそとやっていましたが、もう少しだけ胸を張って。)
もちろん正面から向かい合うような、直接的に「どうですか?」と問いかけていくような、” 取材 ”が適した場面もあるけれど、全部が全部、本人の承諾や確認、意向に沿って・・・というばかりでなくとも、緩やかな複数の眼差しが捉えたその土地や、出会う人々があってもいい。
けれどそれはやっぱり、オフィシャルではなく、限りなくプライベートに胸を張るどころかちょっと覗き見してしまったよ。なんて後ろめたさを感じながら、行っていくことなのかもしれません。。
うずうず・・・
はやく、ゆっくり、確実に。
そうしたことばや営み、その土地に根ざした”何か”を感じ取って伝えていける、立派な『紡ぎ人』になりたいものです。
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本題。
昭和の地で、幾つものことばに(それはことばであって、ことばを超えた想い、ソウルという名のたましい・・。)心を射抜かれたわけですが、中でもとりわけズキュンだったのは、奥会津書房でお話を伺った遠藤由美子さんのお話。
「土と風と水と雨と空気と、ぴったりはりついて暮らしていて、こんなに分厚い文化がここにはある。ものではないのかもしれない、大切な価値、普遍性を持つための要が背景にあるにんげんの心根。それはかたちではない。気持ちにつながるもの。それを問いかけたくてやってきた。
・・・
突き詰めていくと、いとしい想い、使命感、同じようにつながっている。
それを教えてもらった。昭和は奥会津のふるさと。(奥会津の)奥は心のおく。そこまで行きたいと思った。」というような。
なんだかもうあまりにもズキュンで、その後わたしは普段のように、なにかの問いを探すどころではなく、ひたすら打ちひしがれてへなへなになってしまいました。
もはやことばがことばを超える境地と言いましょうか。
生半可な自分が砂のお城のようにしなしなと崩壊していくようでした。
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そのほかにも別媒体で取材をさせていただいた「渡し船」のお二人のことばにも、ばりばりと射抜かれたわけですが、それはまた、本記事が公開されてしばらく経ったのちに、振り返りたいと思います。
女性ってどうしてあんなにからだで真正面から受け止めて、そのまま生き物みたいにパワーあることばを発せられるんだろう。。って、不思議でたまりませんでした。
ダイレクトに” 感じる ”感性、凄まじさや、時に恐ろしさに似た生々しさがある女性たちのことばに、まだまだ注目していきたいとともに、そうした一方で、男性的な視点、ほんの少し遠くから問いかける眼差しも失いたくないよなぁといったせめぎ合いは楽しいです。
どちらにしても地に足のついた人のことばは、みんなみんな生きています。
それではオヤスミナサイ。
中條 美咲