物語というのは、往々にして。

久しぶりに自宅の机に座り、ほっと息をつく瞬間。
帰ってきたなぁ〜。という、なんとなくしみじみとした感を覚えながら、それでもまだ後の祭りにしばらくは追われそうです。

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現実的にも観念的にも、「も〜うお腹いっぱい!」
バクバク食べて、ゴクゴク飲み込んで、むしゃむしゃ咀嚼する。
消化してる暇もなかったので、内臓はだいぶお疲れ気味。。

夏はたくさんの野菜が採れる。夏はたくさんの虫が蠢く。有り余って、おいしいところだけつまみ食いしても、翌朝の畑には、たわわの夏野菜が収穫のときを待ち望んでる。

食べる人がいなければ、収穫されずにそのまま放られる。

 

贅沢なほどに、有り余るほどに。

夏はそうした過剰に豊かなエネルギーで満ち満ちている。

それとともに、夏はゆく夏。

満ちるものあれば、逝ってしまったいのちを憶う季節でもある。

人生観をひっくり返されたような、”からむし”を通して出会った昭和村での体験も、ちょっとしたスピリチュアル的経験を果たした望月での星空も、きちんと伝わる言葉で書き残したい気持ちを念頭に置きながら、ありのままに語るにはもったいないようで、ありのまま、ろ過するように伝えることと、咀嚼したり火を通したり、錬金術のように味付けは最小限に調理してお見せすること、そうしたいくつかの手段とにらめっこしている。

ただし、気をつけなくちゃならないことは、現実を物語のために過剰に色付け、味付け調理してしまうのは、あんまり好ましくないのかもしれないということ。

物語を物語たらしめるには、ほんとうのたべものを、よく噛んでよく味わって食べることに集中すること。

その場ですぐに答えや結果、味付けを決めてしまうのではなく、しばらくは食べたことを忘れてしまい、内臓で消化され、不要なものが取り除かれて外に出て、血となり肉となり、身についたころまで、ゆっくり放っておいたほうがよいことだってきっとあるかもしれないなぁと。

 

「待つ」ことができるのが、にんげんを人間たらしめるんだって、きのう、テレビであの人も言っていた。

 

暑すぎる残暑を感じながら。

中條 美咲