有名になってからでは生まれ得ないものがここにはいくつも存在していて、
誰かの目に気づかないことでそこからは絶えず新たに生み出されていて、
時折よいものが生まれた時があったならそれがただただ嬉しいばかり。
隣には一緒に喜べる人がひとり、いればいい。
それ以上でも以下でもなくて。
同じように繰り返す。食べて・寝て・生みだす日々を。
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民藝のインティマシーを途中まで読んでいて、”「平凡」の難しさ ”という節にぶつかった。
柳宗悦さんが、国宝茶碗『喜左衛門井戸』を見たときの感嘆入り混じった喜びの表現のなか多用される「平凡」という言葉がキーワードになってくる。
著書である鞍田さんのことばを引用してみる。
”「『喜左衛門井戸』を見る」の中で、柳はため息まじりに「なんという平凡極まるものだ」と述べています。そこには平凡であることがどれほど難しいか、ということが含意されているといってもよいでしょう。前章で引用した部分には、「誰だってそれに夢なんか見ていない」とまでいっていました。もしかしたら、ここには、夢なんか見なくてよい「平凡」な世界に、ともすると夢を見ざるをえなくなってしまった現実に対する認識が吐露されているのかもしれません。そのうえで、あるべき平凡の回復こそが、時代に対峙する中で民藝というコンセプトが目指したものと位置づけることもできるでしょう。(中略)
二十一世紀初頭のいま、私たちは民藝というものにふたたび共感を持ちつつあります。そんな私たちは、どこへ帰っていくべきなのでしょうか。それを、次に問うべき課題としてあげる必要があるでしょう。”
鞍田崇 著 『民藝のインティマシー』第3章 民藝の使命より
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「平凡」というのは大きな円形の枠として存在していて、いつからか人は「平凡」なる枠組みからいち抜けしようとこぞって脱却を図り続けたと仮定する。
いままで大いなる「平凡」であった円形の枠組みの中に踏みとどまる人は次第に減り始め、すっかり人々はがらんどうの枠組みを眺めては自分がいかに「平凡でないか」を証明することに忙しくなった。
これはすこし大げさなイメージだけど。インターネットの飛躍的な広がりやSNSの爆発的普及もそんなところに多少なりとも絡んでいるのかもしれない。
「平凡」でないわたし。「平凡」でない毎日。「平凡」からの脱却。
みるみるうちに円のなかに残る人は少なくなっていった。
円を一歩踏み出した人は時折円のなかを覗き込む。
そこに止まる人はそれまでもこれからも、始めから円があることすら知る由もなく、「平凡」であることを全うしている。
多くの人が良いと思うものが、どういうものを指すのか、一概には言えないけれど、時代や時の流れに左右されることもなく、古びないものは「平凡」であることを全うしている人から生まれてくることの方が多いんじゃないかと最近わたしはよく思う。
「平凡」であるとは、癖がなくまっすぐであるということ。まっすぐでは面白みに欠けるけれど、馴染みがよく飽きがこない。
そしてそういったところから生まれたものは人目を意識して(しすぎて裏の裏まで回ってみたりして)生み出されてくる「デザイン」とは対極の存在でもある。
自然と「生まれてくる」と意識的に「生み出される」の違いというか。
両者のバランスが何十年もかけて極端に、意識的にデザインをして「生みだす」ことばかりに傾いてしまったため、自然と「生まれてくる」民藝的なもの、素直なものを恋しく思ったり、求める声が高まりつつあるのが” いま ”なんだろうかなぁと。
バランスが偏りすぎたシーソーに長いこと止まっているのはとても気持ちが悪いもので、左右に触れながら両者のバランスを取り合うように。
人々の暮らし方や向かうべき方向性ももちろん傾きすぎると気持ちが悪いし、日本列島全体もここへきて揺り戻しのように、いずれも活発に蠢き始めた感じでしょうか。
さっそく自然の異変を感じ取った殿様(蛙)たちは、地面から顔を出し、思い思いに右往左往していました。(推定4匹)
今後は揺れ動くものたちの様子を感じ取りながら、自然に身を任せ、吸収し、調和しながら生きていく。そんな道筋を開いていくための灯台としての” 民藝なるもの ”、大いなる「平凡」への帰りみちをさらに模索していこうと思いました。
それではこの辺で。
参照:今、なぜ民藝か? 横軸の広がりから、縦軸の深まりへ。|紡ぎ、継ぐ
中條 美咲