1本の傘を所有する意識の希薄さについて

あたたかな日差しが注ぐ午後の帰り道、1本の傘を買いました。

長い傘を片手に、いい季節になったなぁと春うつつ。

ぼーっと電車の手すりに預けたが最後。
ついさっき買ったばかりの青色に淡いピンクと白色が混ざったその傘は、電車に揺られ、どこか遠くの駅まで運ばれていってしまったのでした。

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終着駅ではもうその姿はなかったようなので、心遣いのある人が、降りた駅の駅員さんに届け出てくれたかもしれないし、はたまた「きれいな傘。せっかくだから…」と、どこかの誰かのおうちに連れ帰られてしまったかもしれません。

あの傘は、確かにわたしがお金を払って買った傘だけど、一度も使ってあげることもなく、どこかの誰かのもと、駅の遺失物置き場の片隅に、置かれているとしたならば、「所有物」といったところで、それすらとても儚い幻想なのかもしれないなぁ。と、想いを馳せてみたりするのでありました。

 

全国津々浦々。

駅の遺失物置き場に集積された、名もない傘たちのことを思いながら、これからは自分の持ち物に対する意識を「ぼーっと」ではなく、「シャンとして」感じてあげなきゃいけないと、反省するばかりの良く晴れた日の夕暮れでありました。

 

また明日、駅員さんに聞いてみよう。
わたしの所有物らしき傘、見つかりましたか?と。

 

 

中條  美咲