寂しさの治まるところ。

「寂しさは何処からくるの?」彼女は言った。

「寂しさは、あたたかいところからやってくるんだよ。」と、誰かが答えた。

「あたたかいって、どんな感じ?」彼女は聞いた。

「あたたかいって、お母さんのお腹の中みたいな感じ。」僕は言った。

「お母さんのお腹の中かぁ。いいなぁ。わたしはお腹の中じゃなくて、卵の中から生まれたから、君が言うあたたかさって、よくわからないや。」彼女は少しだけ不満げにそう言った。

「そんな筈ないよ。君の生まれた卵だって、生まれる直前まで、お母さんがずーっとずーっと、割れないように包み込んで、生まれるのを待っていてくれたはずだもの。」僕は答えた。少しでも彼女の機嫌が直るといいなぁと思って。

「そうだよ、きっと。覚えていないだけで、君たちは二人とも母さんのあたたかさをいっぱい感じて生まれてきたに違いないやい。おいらなんて父さんも母さんも、ぎゅーっとぎゅっと、交わることなく、あっという間に100個も200個も卵を生むもんだから、生まれてから一度だって、父さんにも母さんに温めてもらったことはないんだぞ。兄弟だって、一気に生まれてあっという間に食べられたり流されたりして、”ゆっくりあたたかく〜”なんて、とっても遠い話だい。」誰かが不機嫌そうに呟いた。

「そっかぁ。ごめんね。でもあたたかさを知っていると、どうして寂しさがやってくるの?」彼女はけろっと機嫌を直して、今度はそんな質問をした。

「はじめがあたたかかったから、ひとりになった時、家を離れなくちゃならなくなった時、お父さんやお母さんの体温にもう一度包まれることができないと心のどこかで知ってしまった時、なんだか風がいつもより冷たかったり、ちょっとだけ物足りない感じがしたり、そういうところへ少しづつ少しづつ、寂しさがやってきて、そんな隙間に居座っちゃうんじゃないのかなぁ。」考えながら、僕は答えた。

「じゃあ、あたたかさを覚えていないわたしには、寂しさがやってくることはないの?」彼女は聞いた。

「そうとも限らないし、それは僕にもわからない。これから先、君自身が自分以外の誰かや何かにあたたかさを感じたり、生み出したりした時に、それを知ったことで寂しいと感じるようになるかもしれないし、そんな中、必ず寂しさを感じるとも限らない。あたたかさには温度があるけど、寂しさには温度がないからね。体温みたいには測れないんだ。だから、みんながみんな感じるとも限らないし、ほんとうはあたたかい筈なのに、寂しいと感じることだってあると思う。寂しさってどれもこれも同じじゃないんだ。」僕は言った。言っていることが、彼女にうまく伝わるといいなと思いながら。

「寂しさって、不思議な存在ね。あたたかさを知っていったり思い出す代わりに、寂しさを抱え込まなきゃならないなんて、ちょっと勇気がいるみたいね。でも興味があるわ。これからあたたかさをとことん知って、寂しさを訪ねる旅に出ようと思うの。あなたも一緒に来てくれる?」

「残念ながら、僕は自分の意思でここを離れることはできないんだ。でも、いつでも同じようにこの場所に立っているから、勇気を出していっておいで。」

 

そうして彼女は一人、旅に出た。

長い旅の中でたくさんの出会いがあり別れがあり、少しずつ広いせかいを知っていった。

 

幾つかの年月が過ぎ、多くの出会いは楽しかったけれど、自分にとって肝心な寂しさの正体がいまいち掴めていないことに気づいた彼女は、久しぶりに、かつて話をした彼にどうしても会いたくなって、とても長い時間をかけて、生まれ育ったその場所に帰ってきたのだった。

そこに彼の存在を見つけることはできなかった。一帯の環境は大きく様変わりしており、彼女はしばらくの間、途方に暮れた。

 

時間が経つにつれて、自らの中に大きな寂しさが存在していることに気づき、彼女はあたたかな涙を流した。たくさんの涙をながしても、彼を見つけることはできなかった。

大きく膨らんだ寂しさを大切に包み込むようにして、一人の成熟した女性は静かにその場所を飛び立っていった。

 

 

おわり。

中條 美咲