花が散るということは

この季節、街中の至るところに咲いている椿の花に目が留まる。

枝を埋め尽くすように満開に開く姿もそれは艶やかで見ものだけれど、わたしはどちらかというと枝から見事なまでに落下した「落椿」に目がない。

その光景を目にするたびに足を止めて記憶ばかりか記録に残したいと強い衝動に駆られてしまう。

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椿であれば、蕾がほんの少し開きかけて光と影を身に纏っているときか、このようにあっけないほど見事に落下した姿に驚くほどこころをかき乱されたりするのだから、散ってなお彼女たちが放つエネルギーはあなどれない。

枝から落ちて初めてその存在感を露わにする。花は可憐なものと決めてかかっていては此方がしてやられる。

「可哀相などとお思いにならないでくださるかしら。同情は結構。これが私たちの生そのものなのですから。」

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椿が日本女性に例えられるのはある意味納得できる一方で、現代に生きる私たちが椿ほど強い信念のもと、花開き、散ってなおその存在感を薄めることなく見事に全うできているのかどうか…

女とは本来このような魔力をどこかしらに隠し持っているべきなのではないかと椿の姿を目にする度に思うのでありました。
みなさんはいかがお考えになりますか?

 

それではこの辺で。

中條 美咲