写真、光の描き出すもの

先日、あーすぷらざ(神奈川県立地球市民かながわプラザ)で行われた写真家・野町和嘉さんの講演会「聖地巡礼」に参加した。

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                                 画像引用:あーすぷらざ

はじめに脱線しておくと、「地球市民かながわプラザ」ってすっごく大それた施設名だなぁという驚きが少なかからずあったのは間違いない…。察するところ、それ位の視野を持って ”地球全体を俯瞰できるような市民を育てていきたい ”というような強い熱意のもとの命名なのでしょうか?

実際のところはわからないけれど、結構なインパクトがありました。
おおきな目でみたら、あらゆる枠組みや国籍も越えて、わたしもあなたも「地球市民」。
結構かっこいい理念かもしれない。
話を元のレールに戻します。講演会があることを見つけてきてくれたのは彼なのだけど、偶然にも「聖地巡礼」という写真展、2009年に東京都写真美術館で開催された時にひとり足を運んだことがあった。

不思議なことに巡り巡ってもう一度、野町さんの「聖地巡礼」と対峙することができたのだった。

わたしはよくこのブログで 神様や仏さま、見えないものについて書いていることが多いので、そういった物事に興味をそそられることは確かである。だからといって自分が宗教的なものを信仰しているかというのはまた別でもある。

野町さんの講演は2時間に及び、250人定員の大きな会場は満員ということで驚いた。どちらかというと自分たちはよっぽど余所者で、あーすぷらざはその土地に根付いていて市民からも認知されている。そして写真家、野町さんも自分が想像している以上にすごい人ということを思い知らされる。そんなの当たり前のことなのだけど、自分の知っている世界は、このかながわエリアでも日本国でも大して変わらない。とっても小さい。ただひたすらに。

野町さんが本格的に地球を俯瞰するように写真を撮り始めたのは1971年、25歳の時。「地平線の中に立ってみたい」という目的を持ち、パリで中古車を購入し、スペイン、モロッコ、アルジェリアを経由してサハラへ。当時の日本では地球の多くの場所は空白地帯としての情報しかなかったそうだ。

夕刻サハラに入り、オアシス近くの小学校庭先にテントを張って一夜を過ごし、翌朝目にした光景(砂漠の山々を背に、ひとりの少年が毎朝の習慣でヤギを世話している姿)が大きな衝撃として印象に残り、それが後の写真家としての活動のきっかけになっているというお話から講演会ははじまった。

その土地に広がる光景はたった一つのオアシスによって、生き物の生死はあっけなく決まってしまうというもの。道は「唯一」しかなく、間違えると滅びてしまう。
今に続く多くの戦乱もそういった現実的な資源の少なさ、そこで生きて行く上で培われた意志の頑なさやマイナスの面が出てしまっているのかもしれないという話をかすめながらも、1980年頃のリビア一帯はとてもいい時代だった。と語られていた。

1981年〜砂漠でのキャンプをベースとしたナイルへの旅では、全アフリカを凝縮したナイル川流域で暮らすスーダン南部で出会ったディンカの少年の話をしてくれた。
当時、衣服も身に纏わずに、牛と人間を隔てる壁もなく暮らしている彼らの姿は本当に衝撃的だったそう。

わたしはそこに映し出される牛たちの美しさに驚くとともに、牛の尿で髪を脱色する少年や性器に息を吹き込み多く乳を出してもらう瞬間を捉えた写真などは自分が持ち合わせている価値観が全く役に立たないことを遠くの方で感じるばかりだった。

長引く内戦と飢餓を経て、2011年に南スーダンが分離独立を果たしたことを契機に、32年ぶりに再び訪れたその場所では、30年前とほとんど変わらない生活でありながら、衣服は身につけるようになっていたそう。

その後、過去の写真展でも目にしたガンジス、クンムメーラでの巡礼の写真や、チベット、アンデス等多くの聖地を写し取った写真が次々とスライドされながらそれぞれの宗教的な背景や人々の様子などが語られていった。

最後の質疑応答で、どうして聖地を撮るようになったのか?という質問に対して、「1000年、2000年と時間をかけて成ってきたのが宗教。そこにいる人間を撮りに行きたい。崇高なものと向き合っている時、自分もはだかにならないと撮れない」と答えられてた。その一方で「宗教取材は煩わしい。人の流戦に触れないとならない、そこに土足で入るような…。それに比べると圧倒的な自然を撮るのは楽しい。」とも質疑応答に入る前に語られていて、とても印象的だった。

 

野町さんが人生を通して目にして触れてきた光景を、同じように自分が今後の人生で直接目にすることは恐らく不可能だろう。インターネットの見えない線で世界中は繋がり、どんな絶景も検索一つ、画面上で確認することはできるのだろうけど、彼らのような写真家が映し出すせかいはそんなに手軽なものじゃない。

見れば見るほどに、そこに広がっているあらゆる” 自然 ”を発見できたとき、ほんの少しだけ、自分の世界が開けたような錯覚を繰り返す。そんな風に、何度も何度も一歩進んで二歩下がるとしながら、自分の知らない世界で地球の大半は占められていると突きつけられたなら、もう少し、近づく努力をしてみたいし、今の自分が身につけている常識を蹴散らせてみたくもなる。

そんな写真に出会えるのはほんとうに楽しい。

 

先日の石川直樹さんのお話に引き続き、たった2時間で世界を圧倒的な広角で深く感じられる時間を得ることができ、とっても貴重な体験になった。

野町さんの「聖地巡礼」写真展は1期2期と分かれて4月19日まで入場無料で継続されているので、とってもマニアックな場所ではあるけれど、もしよかったら行かれてみてはいかがでしょうか。

 

この勢いに乗って、わたしも小さなスナップカメラでせかいを描き出す旅に出てみたいものです・・・。

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それではこの辺で。

中條 美咲