モノコトヒトへ

モノからヒトへ 価値の転換
時は2015年。震災から4年。” モノからヒトへ ”  価値の転換はより目に見える形で少しずつ、表面的にもその変化は露呈してきたとしてみよう。

もう随分長いこと「モノ」中心の時代が続いてきた。
何がほんとうに良いモノか、必要なモノか、大事なモノか…。ゆっくり考える余裕もなく、攻め立てられるように、美しいモノ・完璧なモノ・巧妙なモノ・デザインされたモノ・よりクオリティの高いモノ・珍しいモノ……

挙げだしたらキリがないほどに。それらは次々と生み出され、生産され、道半ばに入れ替わり、色付けし、新しい姿となって再度生まれて繰り返されて。

もういい加減 ” モノ ” 中心の文化に疲れ始めた人々は、少しづつ ” コト” への憧れを募らせていった。

” コト ”が注目されていく中で、わかりやすいのが土台になっている行動そのもの、「ライフスタイル」=「暮らし方」なのかもしれない。

こんな憧れな”コト”をしているヒト。こんな素敵な” 暮らし”をしているヒト。こんな幸せそうに” 生きている ”ヒト。いまからさらに注目されるのは、そんな” 行動や暮らし、生き方 ”をしているヒト たちなんだと思う。

我ながら随分性急なことを…と思いながら、時代は「モノからコトへ、コトからヒトへ。」少しづつ需要のかたちが舵を切り始めているともいえるかもしれない。

これは大発見でも先取りでもなくて。もうずっと前から言い始めた人がどこかにいたりして、知らず知らずその波に乗る人が増えて行くという一つの現象に過ぎない。
信じてこの波に乗る人もいれば、別の波の到来、今ある波に乗りつづける人もいることだろう。

広大な海。波はいくらでもどこからでも小さく大きく、生まれつづける。

そしてわたしはこの波を信じてみたいと思う。

 

・・・でも一体、みんなが口にする” 素敵 ”の正体ってなんだろう?

『すてき』は素敵であって素的ともいう。「素的」もいいかもなぁ。素的でいいじゃない。

 

雨の音を聞きながら、くだらない所で帰り道をさがして振り返る。

モノコトヒト、ものことひと。

こうやって並べてみるとひとつの連なりみたいに収まりがいい。

 

時代によってピントの焦点だけはクルクル変わっているけれど、実際には切り取り方の問題というだけで、モノコトヒトはどこまでも切り離せない関係性で成り立っている。

こよい降り注ぐ春の雨だけはそんなこととは全くの無縁で。

そんな春の雨がすき。時折、モノコトヒトを通り越して。

 

今年も春がきましたよー!

好きな季節は冬だけど、冬を十分染み込ませ、堪能した分次にくる春がこんなにも待ち遠しくなって。そんなふうに思えるしあわせにピントを当てられればそれでいい。

それではこの辺で。

中條 美咲