わたしには現在、ふたつの家族がいる。
ひとつは成人するまで育ててくれたわたし自身を含んだ家族。
ふたつ目はわたしが結婚した相手の家族。
いままでひとつだけだった家族が、結婚を機にふたつに増えた。そしていずれは3つめの家族を、今度は自分たちで作っていくのだろうと思っている。
それは3つめでもあり、1つめと2つめの結びつき、延長でもある。
結婚したことで夫婦にはなったけれど、ふたりではまだ家族未満。家族はじぶんたちの力で少しずつ少しづつ、”成っていく” ものなのだと知った。
意識しなくても自然と家族になれてしまう人が大勢いる中で、わたしは「家族になる」ということを必要以上に考えてしまう。
そんな不器用というのか要領の悪い存在だからこそ、家族になる前段階の今からじっくり、家族について考えてみたかった。
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読みたくて迷っていて、やっぱり読もうと購入をした雑誌、「考える人」。
表紙の写真があまりにも言い得て妙。
そして気になるテーマはずばり「家族ってなんだ?」
最近自分の中で改めて深い興味の対象になっている「家族」について。
その問いかけに対して、これ程多角的に・生物学的に納得のいく読み物に仕上がっていることにひたすら敬服。
中でも巻頭、山極寿一さんのロングインタビュー「人にはどうして家族が必要なのでしょう」で話されている内容が凄まじい。わたしが出会いたかった問いかけに対する応えがふんだんに詰まっている。言葉にすると大袈裟極まりないけれど。
今までは主観的にしか感じたり考えてこなかった「家族」について。すこし離れたところから捉えてみると新しい発見に溢れている。
山極さんはゴリラ研究の第一人者ということでゴリラの生態や暮らし方から家族の起源・人間を人間足らしめる理由(親和性・集団性・社会性 )などを長いこと研究されているらしい。
元々はサルやチンパンジー、ゴリラと同様の霊長類にあたる人間がどのようなかたちで今のように圧倒的な進化の道を辿ってきたのか。それはなぜか。とても分かりやすくて且つ、人間として生きていくに欠かせない(現代に入り失いつつある)要素が鋭く指摘されている。
いくつか要約(一部引用)してみる。
- サルは食べる時には散らばる。食べることは個人的な行為で優劣順位があるから。一方、人間は食べる時に集まる。食べることは人間にとって集団の行為だから。それを始めたのが人間の進化の初期。このころ「共感」という人間特有な能力が育ち始めた。
- 共感を発達させながら、人間は家族というものを仕上げてきた。共同体だけ、家族だけがあっても人間ではない。そのふたつがなければ人間性を発揮することはできない。
- ゴリラもチンパンジーも、生殖能力が衰えると同時に大体寿命を終えている。一方の人間は生殖能力が衰えた後も長い間生きる。長く生きた人の経験が、若い世代に非常に役立ったから。それが人間の社会を発展させてきた大きな要因だと思う。
- 人間は他者の中に自分を見るようになった。これは人間の持つ、非常に強い共感力の不思議な現れ。人間のもつ親和性というのは、他の動物には絶対ありえない。それが人間の集団性・社会性であり、それを担保するのが家族という、えこひいきする集団。そしてもうひとつはコミュニティ。
後半は、言葉が持ってしまった力のこわさ・科学技術や効率化が進んだ現代社会への指摘と今後の課題の話につながっていく。
- コミュニティをどうつくっていくのかは、これからの人間に託された課題。ひとつの方向として、人間同士が会って対話をする機会や環境を、もっと整えるべきだと思う。会いたい・話をしたい・触れ合いたい。それはみんなが切望しているところでもある。
- 今の高齢の人たちは高度成長期・安定期・崩壊期の変化をみんな知っている。その中で何がよかったかを過去をさかのぼって語ることができる。これはすごく重要なこと。
- 介護を「負担」としてしまったのは、今の日本が壮年期の人たちの時間で動いているから。
- 社会的地位がどんなに違っても、みんなが子供に責任を持つ存在であるというのは潜在的な平等主義。コミュニティがいかに階層的であっても、家族というのは対等にできている。
これから自分たちが作り上げていく家族と、今まで自分たちを作り上げてきてくれた家族。
これまでの人間の進化と戦後70年間の間に大きく変化してきた家族像について、じっくり考えてみるとてもいいきっかけとなった一冊。28ページに及ぶロングインタビューは、一読の価値ありです。
そして山極さんのあとに続く、壇ふみさん×酒井順子さん「火宅の子」対談や是枝裕和さんの「父の借金」も全く違う切り口から私的な家族像を語られていてとても興味深い。
いつの時代も他人からみた隣の家族は不可解に富んでいたりして、それでもなぜだか家族として成立していて。
あらゆる成長と共にすっ飛ばして置き去りにしてきた家族像やコミュニティを、そろそろ取り戻していく時代に入っても良い頃かもしれません。
これからの家族像は血のつながりを越えていくかもしれないし、新たなコミュニティが家族に変わる大きな受け皿と成りうるかもしれない。
たくさんの課題を抱えながらも、” 家族 ”に託された未来はまだまだ可能性を秘めている。
そんな風に思った次第です。
参照:新潮社 考える人
それではこの辺で。
中條 美咲