あめ・雨・アメ・天・飴・・・あめが降っている。
冬の日の、さむいアメ。つめたい雨。
雪国は、降る続く雪。雪かき、雪下ろし、除雪作業・・・本当にご苦労様です。
雨も、雪も、降る場所もあれば、降らない場所もある。
おんなじ一つの島だけど、何一つおんなじことなどなくて。
そんなことをぬくぬくとこたつに入って考えている自分は、どうしようもなく生温い。
*
今日はそんな、ヌクヌクのお話。(※こたつの中のぬくぬくではありません。)
物語から飛び出して、いよいよこれから子ども達の夢枕に登場することになるであろうヌクヌク。
そんな夢のある『ヌクヌクのいるところ』について。
このブログの中で、何度か取り上げさせていただいているスタジオジブリが社内向けに毎月発行している小冊子『熱風』。(一般書店での発売はされていないけれど、申す込みをすると年間2000円で毎月自宅に送って頂くことができる。)
わたしは今年の5月から『熱風』を購読しているのだけど、その表紙に描かれるかわいいイラスト。このイラストの作者、加藤秀之さんという方の個展があり、最終日の14日に足を運んだ。
その個展を知ったのは、先月号の編集後記で取り上げられていたからなのだけど、何よりもこのギャラリーが自宅から徒歩圏内ということでとっても驚いたのだった。
わたしにとってのスタジオジブリは憧れ?というのかそれ以上に思い入れが強過ぎるため、うーんと先、どこか果てしなく雲の上の存在。であり、その冊子の表紙をされている加藤さんなどもきっと随分ご活躍されている方なんだろう・・・という類いの勝手な妄想が渦巻いていた。
しかしながらそんな妄想はあっさりとすっ飛ばされることになり、幸運にも加藤さんご本人からこのケイト村のヌクヌク(赤い毛糸を巻き付けたからだで緑の帽子を被った子)のお話ができた経緯や、『熱風』の表紙を担当することになったいきさつを聞かせてもらうことができた。
加藤さんは現在30代半ばで、本格的にイラストのお仕事を始めようと思ったのも最近のことらしい。20代前半には出来上がっていた「ヌクヌク」というキャラクターモチーフとそのお話をどういう形で世の中に出していこうか考え、せっかくであればとスタジオジブリに手紙を出したところ返事があり、作品集を持って簡単なプレゼン行った際、鈴木さんの傍には平積みされていた「熱風」があり、丁度前回の担当の方が終わるのでここに載せてみようか。という話で今年の4月から12回分を担当することに決まったそうだ。
夢みたいな嘘みたいなお話は、現実にも起こりうる・・・ということらしい。
なので加藤さんはまだ知る人ぞ知る、若手イラストレーター。スタートを切ったばかりのこれからの、人だった。
そんな加藤さん自身、とっても異色な方で、おじいさんは黒澤明監督。監督の娘で映画衣装デザイナーの黒澤和子さんが母親ということで、展示されている原画の周りには、「夢」という黒澤映画の衣装で使われた布やお母様の仕事柄、実家に大量にあるという毛糸や色々な生地を使って手作りをした額縁などがヌクヌクの世界を取り囲んでおり、育った環境というものがとても影響しているんだなぁと、感じた。
「人間はうまく描けないんですよ。」といって、毛糸やワイシャツ、帽子や針や糸たちが、人間のせかいとは別のところで、色とりどりに動き回っている様子にはとっても夢があり、ジブリの世界観にも通じ、いずれは絵本かアニメーションのような形になって、子ども達の世界で生き生きと動き出すんじゃないかと想像すると、加藤さんの今後の活躍がとても楽しみになった。
そして「見てほしいのはあくまでも子ども達。個展じゃちょっと、子どもには敷居が高いので」と話す加藤さんがほんとうに届けたいのはあくまでも子ども達。その想いは要所要所に一貫していて、わたしは「ヌクヌクのいるところ。」を通して、なんだかとてもあたたかい気持ちになった。
ぬくぬく。。
*
そしてさいごに。
動き出すと決めて、しかるべきタイミングでしかるべき場所に自らを売り込んでいく勇気と実際の行動は、その先のせかいへと一気に広がっていく橋がかりになるんだなぁと改めて思い知った。(もちろん作品の完成度云々は大前提として)
今回の出会いも(一方的な出会いも)含め、今年はとっても刺激的な出会いが多い一年だったように思う。
いろいろな場面で新たな出会いがある度に感じる自分に足りないもの。
それは既成事実のような肩書きかもしれないし、本当は立場や所属や肩書きに頼らずとも自立して出会っていければいいと思う一方で、出会いを継続していく為にはそういった諸々が必要なのかもしれないなぁと、足下の地面はじわじわしている。
多くの出会いに感謝して、そんな縁をつづけて行く方法を来年はもう少し真剣に考えて、しかるべき方法で行動できればいいけれど、そんなもんじゃないだろうと遠くの誰かが言っている。
出会うこと以上に、続けてつながっていくことの方がずーっとむつかしいことは、まちがいないのでしょう。かな、きっと。
それではこの辺で。
中條 美咲