おそろしく透き通る青をみた
3人しかいない勤め先の、2人の親族(おばあさんにあたる方)がこの週末に相次いで亡くなられたそうで、週明けの月曜は穏やかでないはじまりだった。
そんな折、昼過ぎ頃から喉の痛みが気になり始め、帰る頃には関節の節々も痛く、悪寒も走り、歩いて20分程の帰り道は途方もなく長く重い道のりに感じられた。
案の定発熱。久しぶりのこの感じ。
そういえば小学5年生の冬、自分の祖父が亡くなった時も重なるようにインフルエンザにかかった。唾も飲み込みたくないほどの喉の痛みに侵されながら、隣の部屋で安らかに眠る祖父の存在を感じつつ、喉の痛みを和らげるために緑茶をちびちび飲んで一夜を過ごしたことを思い出す。
父母が葬儀の支度に忙しく動き回る中、2、3才の幼い私におじいちゃんが、仏壇のみかんをくれたり、優しく可愛がってくれている昔のビデオを見返して、ぼろぼろ泣けてきたんだったと更に詳細な記憶も蘇る。
なんでこのタイミングで、どうして重なってしまったんだろう。とか。いろいろ。
人生のあらゆる場面で(殊更印象的な記憶として)物事は連なり、重なり合って、ひとつの基点になったりする。不思議。
順番に人が亡くなっていくことは自然の摂理。悲しみはあるにせよ悲観ではない。
わたしは身近な人の死を経験したことがまだ少ない。
自分にとってのおじいちゃんおばあちゃんは両親にとっては父であり母なので、あたり前だけど悲しみの差は歴然。
自分がいつか直面するだろう親の死に目を考えつつ、大事にしたいのはそこまでの過程だろうと思うと、やっぱりもう少し親孝行しなくちゃなぁとか、おばあちゃんにも会いに行こうという気持ちになる。
ほんとうはもっと色々なことを聞きたかったのに。とあとで思っても、亡くなってしまってからでは遅いのだ。
それは今生きている尊敬に値する方達にも通じていて、例えば石牟礼道子さんであったり、志村ふくみさんであったり、谷川俊太郎さんであったり。高畑勲さんや宮崎駿さんだって70代後半、半ばに差し掛かる。
まだ触れたことがない人も含め、きっと多くの大切なことを与えてくれる存在、戦争の時代を生きたことがある存在から学ぶことはまだまだ多い。
先日亡くなられた高倉健さん、菅原文太さんは『昭和』という時代を象徴する俳優だったそうだ。
わたしは昭和天皇が亡くなる4日前に生まれた為、誕生日は昭和64年1月3日だけれど、直接の記憶として『昭和』のことはなにも知らない。
菅原文太さんは俳優業を退いてからは社会的な発言を多くされるようになり、政治の大事な役割は「国民を飢えさせないことと、戦争をしないことだ」と説いてまわっていたそうだ。
なぜそれ程に、現実として戦争を知っている世代の方達が「戦争をする国になってはだめ」と訴え続けるのか。『昭和』という時代が単なる過去の一部として堆積してしまう前に、わたしたちはもう少しだけその意味をじっくり考えてみる必要もあるのかもしれない。
そして今は、本当に手軽にインターネットやラジオや諸々のイベントを通じて、その方たちの生の声を耳に、目にすることができる。できるだけ皆さんが生きられている間に、少しでも多くのそんな生の肉声に触れておきたいなぁと心底思いました。
亡くなられた皆さんのご冥福をお祈りします。
それではこの辺で。
中條 美咲