・・・かもしれないというお話。
最近新たに刊行されている雑誌のいくつかを眺めていて、先日読んだ加藤周一さんの本で書かれていた内容と相まって、そんな妄想がじわじわと広がり始めた。
加藤周一さんの著書『文学とは何か』。
タイトル通りの” 文学 ”について。もう少し深く、その全体像に触れてみたいと思って本書を手に取ってみたのだけど、大いに甘かった。略して大甘。
この本では「文学とは—であるからして〜なのだ。」みたいなことは殆ど書かれていない。ひとりの人間の美意識・精神性・何が人間的であるかということまで深く深く具体的に分け入っていく。
それはもう文学という学問ではなくて、文学する生き方そのものだった。
おもしろい。けれどわたしはその内容をすぐに忘れてしまう。
忘れてしまうということは、実になっていないという証拠。 ゆっくりでいいので自然と実になっていくように、いろいろなタイミングで時折読み返していきたい。そんな一冊。
本書で特に印象に残った箇所があった。 明治以降、近代の人々の意識について書かれた部分。
日本家屋と家族生活
たとえば家庭の女たちは、妻であるか、母であるか、そのどちらかで、ひとりの人間であることはほとんどなかったでしょう。夫の世話をし、子供の面倒をみ、しばしば姑に仕え、配給や掃除や裁縫やその他そういった労働にいそがしく、ひとりで自分自身の考えやたのしみを追うときはない。(中略)部屋と部屋のしきりが不完全で、話は外へもれるし、誰がいつ入ってくるかわからない日本の家屋の構造が、そのなかに住む人々の生活をよく象徴しています。家庭生活は、いわば市民社会における個人生活の代わりに存在するので、大きな開かれた社会とその歴史とに、人々は、ことに女の人たちは、家族を通じてしか接することがありません。あらゆる社会現象に対して多くの女の人たちにその人の意見がない理由です。また隣の奥さんの行動の方が内閣の政策よりも強い関心の対象となる理由です。実際には、内閣がある政策をとったからこそこっちが貧乏になったので、隣の奥さんがぜいたくをしたからではない。考えればわかることですが、誰も考えないし、誰にもひとりでものを考える習慣がないのです。
だからといって職場に勤める男や女がひとりひとりの意見や思想を持っているかというと、程度の差に過ぎず、大切なのは自分が社会のなかでうまく立ち廻るということで、大半は新聞などの主張に同調しているだけ。「それは思想というものではもちろんないし、本当の意味で意見でさえないでしょう。」と本質を鋭く指摘されていました。
今回わたしが注目したいのは、当時の女性たちはそのような環境の中、ひとりの人間である前に誰々さんの妻であり母だった。誰かの元で学問したり、本を読みひとり考えに耽るような時間もなく、隣の奥さんや姑との関係に終始する人生だった。というところ。
彼女たちはそれを不幸だとも幸せだとも主張せずにその環境のなか、日々の暮らしに手間ひまをかけた。主役はいつだって自分以外の夫や子どもや姑。
それは本当に尊敬すべきことだと思う。
時代は変わって2014年も残りわずか。
わたしたち女もそれぞれ自分の部屋を手に入れ、自分でお金を稼ぎ暮らすことがあたり前になった。欲しい服を買い、ひとりでカフェに行き、部屋でゆっくり本を読んだりもできる。
結婚したからといって家庭に入る女性も少ない。
YUKIの曲「誰でもロンリー」の中で歌われているように「あの娘にも この娘にも足りない 僕にも足りない 良妻賢母」な時代に突入したわけだと思う。
上記に挙げた雑誌に登場する彼女たちは、ボーイッシュでジェントルマンのような格好をし、片手に本と珈琲を持ち、それぞれひとりの時間を有意義に過ごしている。
もう身近な彼らに頼るばかりでは心許ないと感じているのか、手に入れたこの時間を手放さないための何かなのかはわからない。
見かけばかりの一時の流行で過ぎ去っていく可能性もある。
ここに並ぶ雑誌をめくり「哲学する女子たち」というのがまず頭に浮かんだ。更にもう少し考えを熟成させてみると「彼女たちは思想を手にしようとしている?」ということだった。
単なる妄想だけれど。誰に頼まれたわけでもなく自発的に、彼女たちは世の中を動かしている大きな存在から与えられるあらゆるものに頼るばかりでなく、自分の中でなにかを抽出したいと思い始めたのかもしれないと。
そこに秘められた力はまだまだ未開。
わたしは同じ女性として、そこに秘められた可能性にとても興味がある。今はまだ奥底の方でくすぶっているだけの小さな火種を見守っていきたい。
きっとその火種は巨大に成長したり爆発したりしない。ゆっくりじっくり。奥までじわじわと。食べて生きて産み育てる為の火種。
そういう類いであってほしい。
そんな期待を込めた妄想。
理想論に過ぎるか・・。どちらにしても今まで通りの良妻賢母の認識ではお互いにしんどい時代にはなっていることは間違いなさそう。
君たちはどう思いますか?
それではこの辺で。
中條 美咲