毎日新聞 村上春樹氏インタビューを読んで

3日付けの新聞で、村上春樹さんの記事が大きく取り上げられていた。
毎日新聞では5年ぶりの単独インタビュー記事ということだ。

村上春樹さん:楽観を目指す姿勢「若者に伝えたい」ー毎日新聞

特集記事の一面「孤絶」超え 理想主義へ・欧米、アジアで違う評価・日本の問題は責任回避という見出しの内容は、購読者か有料会員登録をしなければ読む事ができない。
こんな風にしてひとつの記事の内容を全文引用するのはあまり良くない印象だと思う。

けれど、自分だけで読み流してしまうにはもったいないと思った。

 

ここで話されることは誰もが触れてこなかった深いポイントをついているのだと思う。曖昧で微妙な衣をまとっている。けれどとても大事。
このような機会にそれぞれが。こういったことに向き合えたらいいのかなと思い、読んですぐさま、この記事について書こうと決めた。

(BGMは高木正勝さん『おおかみこどもの雨と雪』でお届けします!)

日本の問題は責任回避

終戦も原発事故も
— 来年は終戦70年。作中で近代日本の戦争を描くこともあった作家は何を思うか。
直接的な意見を述べるとステートメント(声明)になってしまいます。小説家はステートメントを出すのではなくて、フィクションという形に思いを昇華させ、立ち上げていくものだと思います。ただ、僕は日本の抱える問題に、共通して「自己責任の回避」があると思います。45年の終戦にしても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任をとっていない。そういう気がするんです。
例えば、終戦は結局、誰も悪くないということになってしまった。悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目に遭ったと。犠牲者に、被害者になってしまっています。それでは中国の人も、韓国・朝鮮の人も怒りますよね。日本人には自分たちが加害者であったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思います。
原発の問題にしても、誰が加害者であるかということが真剣には追求されていない。もちろん加害者と被害者が入り乱れているということはあるんだけど、このままでいけば「地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった」みたいなことで収まってしまいかねない。戦争の時と同じように。それが一番心配なことです。

●軸を喪失した世界
   —  冷戦崩壊後、世界は混沌(カオス)的な状況にあるという認識を語ってきた。同じ状況は今も続いているのか。
 そうですね。冷戦が崩壊して、東か西か、左か右かという軸が取っ払われ、混沌が平常の状況になってきました。
僕が小説で書こうとしているのも、いわば軸の取っ払われた世界です。ベルリンの壁が崩壊した頃から僕の小説はヨーロッパで受け入れられ始め、アメリカでは9・11事件の起こった後で受け入れられ始めた。軸の喪失がおそらくキーワードになっています。
僕らの世代は60年代後半に、世界は良くなって行くはずだというある種の理想主義を持っていました。ところが、今の若い人たちは世界が良くなるなどとは思わない、むしろ悪くなるだろうと思っています。もちろん、それほど簡単には言い切れないだろうけど、僕自身はある程度、人は楽観的になろうという姿勢を持たなくてはいけないと思っています。

—  そのためには、まず「孤絶」に耐えなくてはいけない。これが村上作品から伝わってくるメッセージだ。
いったんどこまでも一人にならないと、他人と心を通わせることが本当にはできないと思う。理想主義は人と人をつなぐものですが、それに達するには、本当にぎりぎりのところまで一人にならないと難しい。一番の問題は、だんだん状況が悪くなっていくというディストピア(ユートピアの反対)の感覚が、既にコンセンサスになっているということです。僕としては、そういう若い世代に向けても小説を書きたい。僕らが60年代に持っていた理想主義を、新しい形に変換して引き渡していくのも大事な作業です。それはステートメントの言葉ではなかなか伝わりません。軸のない世界に、「仮説の軸」を提供していくのがフィクションの役目だと信じています。

軸のない世界。理想主義の変換・・・。

若い世代に向けて。…この若い世代に、25歳のわたしは入っているんだろうか。37歳や42歳の人もまだ若い人のうちに入るかなぁ。

その人たちの多くは、世界が良くなるとはあまり思わずに、悪くなると心のどこかでやっぱり感じているんだろうか。(小学生や中学生たちはどうだろう…)

そもそも世界の善し悪しは、どの視点から見るかによって大きく異なる。人々にとっての良くなっていくと、自然や植物・昆虫や動物にとっての良くなっていくは随分違う。

地球温暖化がこのまま進めば二酸化炭素の量は30年で限界に達してしまうとか、北極南極の氷が解けてそのころにはアラスカや様々な地域が海に沈んでしまうとか。

その前に平和を手放してまた戦争をはじめてしまったり?・・・

「責任」とは…自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
日本では上手い具合にみんながみんな、責任をすり抜けて何事もなかったように背負った荷物をどこかへ置き去りにしてしまったらしい。

そうはいっても、気付かないところ・見ようとしないだけで、少しずつ責任を感じて、それを行動に移している人たちだって確実に存在している。

大事なのは責任を誰がとるかだけでもなさそうだ。

 

どんなことも、いろいろなちいさな動きや停滞の積み重なりで少しずつ蓄えられたエネルギー。

あらゆる感情はちいさくてもそれ自体が力を持っている。

 

この前読んだアイヌの本は、人びとの視点も・神の視点も・動物の視点も平行して交錯していた。

それぞれがそれぞれを畏れ、いたずらをしたら自分自身がつまらない死に方・悪い死に方をする。だからこれからの者たちは、決してそんな悪戯をするのではないよとそれぞれの子孫に言い残して死んでいく。人間も鯨も蛙も狐もフクロウも。

 

耳と耳のあいだもしくは井戸の底に坐って。彼らは何をみていたんだろう。

 

 

最後に。

最近一番ジーンときたのは高木正勝さんのこのインタビュー。全く共通点のない2つの異なった世界観を(無理矢理に)ぶつけてみると、意外と面白い発見があるかもしれません。

山奥で暮らす高木正勝が届ける、人生を変える「感じ方」の授業

 

それではこの辺で。

中條 美咲