今日で震災から3年を迎えました。
3年という月日は今の時代の変化、流れからするとあっという間という感覚でしょうか。同じ日本人でも、実際にあの光景を目の当たりに被災された方々と、私を含め帰宅難民にはなりつつも、生活にそこまでの影響がなかった大多数の目撃した人の間に隔たる「差」のようなものは歴然と深まりつつあるのかもしれません。
宮崎監督は著書「続・風の帰る場所」の中で
3月11日以降、ペラペラペラペラものを書く人が増えてね、頭くるんですよ。
『黙ってろこいつら!』って。そう思わない?
と語っており、震災について自分のような者が語ろうとすること自体、出過ぎた真似ということは承知の上で。書かせて頂きます。
タイトルに「祈る」という言葉を使いましたがこの言葉を使うのはとても勇気がいります。
宗教が暮らしに根付いてる国では「祈る」ことは当たり前の日常でしょう。
日本でもお寺や神社で手を合わせ、お祈りをしますが私は正直なところ、「祈る」ということについて本気で向き合うことなく生きてきたかもしれないな。と振り返ってみて思いました。
そんな「祈り」「黙祷」が今日3月11日は日本中に溢れました。
わたし個人では「祈る」といっても具体的に何ができるわけでもなく、ただただ想いを馳せました。
毎日・朝日新聞に掲載された現地の方のインタビューや寄せられた投稿を読み、被災地の方のことを考える。それだけです。
津波で愛する人たちを一瞬で亡くされた方、今も自宅に帰れず避難生活を続けている方、故郷の福島を失ってしまった方。
被災された方それぞれを想い涙したところで状況が変わる事はないかもしれません。
しかし風化させないためにはどのようなカタチにしろ、その人たちを自分のことのように”想う”ことが3年目を迎え今後、必要なのではないでしょうか。
地震や津波などの自然災害は今後も起こるでしょうし、抗うことは出来ませんが語り継ぐことは出来ます。しかし原発事故は違います。収束はほど遠くわたしたちはただ受け入れるのではなく、自分の目で見て、感じて、主体的に判断していかなければならないと強く思います。
福島県の高校に通う女子高生たちは自分たちが福島出身であると県外の人に言いたくないそうです。福島ということで同情され被爆したことを売り物にするようで嫌だと。
しかし同時に「私たちが福島でこんな話をしてるってことを、全国の人にも知ってもらいたいな」とも話していたそうです。
そしてこのクラスを受け持つ高校教諭はそんな女子生徒の会話を聞きこのように締めくくっていました。
震災から3年。希望は見えにくい。
だが希望は外にあるのではなく、自ら主体的に作るものだ。
福島の現実を見つめ、考えることが、強い自分を育て、人生を切り開く力になると信じている。
3月11日 朝日新聞:「声」より
長くなりましたが最後に・・・
ここ最近で深く心に残った言葉で締めくくりたいと思います。
「たとえ明日世界が滅びようとも私は今日林檎の木を植える」
マルティン・ルター
この言葉は藤原新也さんが2013年9月に刊行された著書「たとえ明日世界が滅びようとも」で知りました。この本は震災・原発を考える上で非常に考えさせられる一冊です。
まだ雪が降り続く被災地に早くあたたかい春が訪れますように。
私も自分に出来ることを考えるだけでなく、少しずつ実行していきたいと思います。
中條 美咲