前回はIZU PHOTO MUSEUMで開催中の「北へ、北から」について書きましたが、今日はその後訪れた井上靖文学館のことを書いていこうと思います。
参照:北へのあこがれ。—「北へ、北から。」写真展より|紡ぎ、継ぐ
クレマチスの丘はビュフェ・エリアとクレマチスガーデン・エリアのふたつにエリアが分かれており、敷地はとても広い。
IZU PHOTO MUSEUMから井上靖文学館までは黄色く色づいた銀杏大通り(車道)をしばらく歩いて登り、駿河平自然公園内の吊り橋を渡って行くことにした。(上の写真がその吊り橋)
吊り橋を渡らずとも、迂回してビュフェ・エリアへ行くこともできるけれど、せっかくなのでここは吊り橋を渡ることをおすすめしたい。
このご時世(?)吊り橋に出くわす機会などそうそうないので、この橋を見ただけで全体の満足度はきっと高まる。
橋自体はとても頑丈で危険な要素は全くないけれど、細くて長くて、歩くと揺れる。
このドキドキとわくわくが小さな旅でも肝になることまちがいない。笑
・・・と少しばかり大げさに。
でもきっと、旅の善し悪しはそういった小さな(童心に戻れる)ポイントがいくつあるかによって大きな差が出る。人気もないので森の中の雰囲気が増してより面白い。
そうして吊り橋を渡った達成感を感じながら、目的の井上靖文学館へ。
こちらのエリアは、名前にもついているベルナール・ビュフェ美術館の方がメインなのかもしれないけれど、「北へ、北から」で全神経の集中力を使い果たしてしまったために今回そちらは訪れなかった。
お恥ずかしいことに、文学に疎いわたしは井上靖も井上ひさしも名前くらいはよく耳にしても、その作品にきちんと触れる機会を逃して今日まできてしまった。
触れた事はないけれど、前々から気になる存在ではあった。
とてもささやかな文学館で、お世辞にも展示や建物が素敵とはいえないけれど。館長らしき方のとても親切で熱心なおもてなしに、井上靖さんに対する愛情深さを感じて、さっそく親近感をおぼえる。
井上靖の人物像を掴みやすいように「時間があれば10分程のビデオを見て行かれませんか」という勧めに従って生前、インタビューを受けている映像をみてハッとした。
「読者についてどうお考えですか?」というようなインタビュアーの質問に対して井上さんは「読者を、人間を信じています。」と云い切っていた。
前後の細かい表現は忘れてしまったけれど、「信じていないと作家などできません。」というようなこともおっしゃっていたように思う。
大人になるにつれて、誰かに向かって「わたしはあなたを信じています。」なんてとても言えない。重たいなぁと嫌厭されるか、胡散臭いと思われるか。こんなにストレートでむき出しの言葉なのに、なぜかその周りを避けるようにしてあらゆる核心には触れずに生きる術を身につける。
それは別に悪い事ではない。けれど、
「わたしは人間を信じています。」
本当につよくてまっすぐなことばだと思う。
少しも混じりけがなくて。
映像の中で、この台詞を2度も自信を持って云い切っていた井上靖さんがとてもかっこよかった。
きっと、愛情に溢れたやさしい人間味のある方だったのだろう。
そして、信じて書き続ける。
そういう風に信じ続け、書き続けることで、この人の言葉から溢れんばかりの豊かさを受け取った人々が大勢いたのであろうこともこの文学館で知ることができた。
なんだかとっても勇気をもらった。
そして展示の最後。
1991年1月29日。病気の末83歳で亡くなる直前に書かれた直筆の文章(詩)を引用したい。
病床日誌
井上靖
隣室に、肉親の者、何人か集って、
病症にある私を話題にして、
緊急会議を開いている。
どうやら、この二、三日、
多少の痛みを持ち始めた
私の尾骶骨を、このふしぎな機関を、
いかにすべきか、その打ち合わせらしい。
神さまが、どこかで、
耳をすませている。
神さま自身、どうしたらいいか、
見当がつかないのだ。一日、頓挫して、
顔を庭に向けている。
樹木も、空も、雲も、風も、鳥も、
みな生きている。
静かに生きている。
陽の光りも、遠くの自動車の音も、
みな生きている。
生きている森羅万象の中、
書斎の一隅に坐って、
私も亦、生きている。(1991年1月16日 「すばる」三月号に掲載される)
とても柔らかくしっかりとした筆跡だった。
手書きの重みを感じた。
それではこの辺で。
中條 美咲