久々によく晴れた週末。東海道線に乗って、静岡県の三島駅に降り立つ。
車内から穏やかに輝く海をみて、とても遠くまで来たような気持ちになった。
クレマチスの丘に隣接された、IZU PHOTO MUSEUM にて開催中の小島一郎写真展「北へ、北から」が目的だった。
クレマチスの丘までは、三島駅から無料のシャトルバスで20分程。白い綿帽子を被った富士山を遠目に眺め、小高い丘を登ったところにある。芸術や文化、自然公園を一所に集結させた複合文化施設として1973年から少しずつ、周辺エリアを拡大させて今のかたちになった様子。
その手の施設としては先駆けだったのかもしれない。三島という土地からして、少しばかり客目を惹きにくいのか。そこまで多くの観光客が押し寄せる訳でもなく、とてものんびりとしていてゆっくり楽しむことができた。
どうやら名前の通り今では5月から6月にかけて満開になる、クレマチスを始めとした多種多様の植物を目的に訪れる人も多いらしい。
以前、都内の美術館を訪れた際。並んでいる複数の展覧会予告チラシの中で、小島一郎写真展のそれに載っている写真が強く印象に残っていた。
この写真美術館は、現代美術家の杉本博司さんのデザインで2009年にオープンしたらしい。
それほど大きくなく、白とガラスと石を基調にさっぱりとしたその空間をじっくりと、長い時間をかけて見てまわった。
後から訪れる人たちはみんな足早に通り過ぎていってしまった。
その空間には私たち二人と学芸員のおじさんしかおらず、ジーッという空調の音ばかりが大きく聞こえた。
これだけ簡単に大量に、いつでもどこでも誰もが写真を消費できる今、その意味や価値はとても薄っぺらいものになりつつあるような気もする。
写真の価値など考える必要もなければ、資格もいらない。
だれにとっても身近で、いとも簡単に写真を撮ってはこんな風に人目に晒して、それなりの雰囲気を装うことができる。それは写真に限ったことでもない。
作品を前にして。
とてつもなく厳しく(本人の姿勢・環境・自然のすべて)、その厳しさの中から徐々に滲んでくるあたたかさに一気に引き込まれてしまう。一枚一枚の作品と、そこに重なる短い文章によって、まるで物語を読んでいるかのように壮大な世界が広がりはじめる。
” 晩秋の津軽野は冷え冷えとした空気に包まれ、やがてくる冬を感じさせる。
朝早くから日の没するまで働き続ける農夫。身にはぼろをまとい、手は泥にまみれて
いても、美しい夕日を背にして立つ美しい人間の働く姿である。”” 冬が近づくにつれて人影もまばらになり、やがで吹雪がうなりをたてて荒れ狂う。
村と村の行き来も疎遠になり、道は雪に埋まり、人間の匂いも土の匂いも消え失せてしまう。橋の上に残るわずかばかりの足跡と、ソリの軌跡だけが人間を感じさせ、果てしない
雪原を通り抜けてきた孤独を救ってくれる。”
小島さんの展示を追っていく中で、わたしの頭には「文学」という言葉が浮かび続けた。
そこに並んだ写真作品も、「カメラ毎日」や「カメラ芸術」に当時掲載された言葉の節々も。
「文学」のなんたるかなど全く理解していないにも関わらず、文学はこういう場所からしか生まれ得ないんじゃないかと思った。机の上でどれほど考えあぐねたところで到底及ばない。
当時、海外でいくつかの賞を受賞した際のインタビュー記事があり、その中で作品について語る本人の言葉が、あらゆる物事に共通する(特に芸術などの作品を生む上では大切な)真理なのだと思う。
「各土地の歴史や民俗学的なものを知らないと、ほんとうに突っ込んだ作品はできません。いままでの私の不勉強さを反省しています。」—昭和36年の12月17日の新聞
本格的にプロとして写真を続けていく為に、強い友人の勧めによって東京に移り住んだ後の作品は、厳しい東北の寒さとそこから滲み出すあたたかさもなく、殺伐としてさみしいものに感じられた。
その後青森に帰郷し、北海道での撮影に再起を賭けるものの、体調を崩し39歳という若さで亡くなってしまい今年で没後50年になるそうだ。
小島一郎さんは、生まれ故郷の北国でひとつの真理に出会い、それに向き合い、あるところまで到達した。
津軽の地で暮らす人々のように、その土地にへばりつくようにして太い根を張って生きている人が東京にはどれほどいただろう。そういった人々に巡り会っていたら、彼のその人生はまた違ったものになったかもしれないし、はじめから東京ではダメだったのかもしれない。
東北の方言に「凍ばれる(しばれる)」ということばがあるらしく、そのタイトルの展示のおわりにこんな言葉が添えられていた。
「凍ばれる」
この言葉は寒いというより、以上に冷たい事を表現した、私共北国に住む者の間で使われる方言。
この様に人間が住めそうもない凍れる土に現実にそこには人が住み、彼らは宿命的にその土地に定着し、自然の猛威のあく事なき圧迫と斗い乍ら風土と密接なつながりのある生活をしているのである。
易しいもの・わかりやすいものが迎合される一方、本当のところでは個々の所在や人々の繋がりは根が浅く、心許なくなりつつある(既にしばらく続いている)のが今の時代の一面と仮定する。
一見するととても厳しく、人を寄せ付けようとしない彼の作品やそこに生きる人々、その土地の風景に感じるあたたかさから、自分たちがどこかのタイミングで損なってしまった” 土にへばりついて生きる。” ということの深さと強さ、その価値をじわりじわりと突きつけられた。
身体はそちらに引っ張られ、頭と身体はますます離ればなれ。
小島一郎さんの写真が放つ影響力は凄まじいものだった。
展示の仕方も作品の力を引き出すかたちでとても良く、土の匂いを感じたい人や北国の厳しさ・あたたかさに身を包まれたくなった方にはとてもおすすめです。
わたしの故郷でいう「凍みる(しみる)」ような寒さや、津軽の人々のいう「凍ばれる(しばれる)」ほどの寒さ。太陽の光が届かないアラスカの長い冬を思いながら、これから訪れる関東の冬を淡々と過ごしたいと思います。
それではこの辺で。
中條 美咲