月別アーカイブ: 2016年3月

労働する動物。社会化していく「わたし」を見据えて…

「もはや、社会とわたしは乖離している・・・?(クエスチョン・マーク)」。

人間は生まれた時には限りなく動物に近い存在ですが、時間をかけて教育を施され、社会に適応する「大人」へと、成長していく。

文明を築き上げ、それを維持・継続していく中で、「人間」としての豊かさを追求していくために、「社会化」は欠かせないひとつのキーワードなのだといえそうです。

ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読みながら、人間とは、労働とは、活動とは、仕事とはなんぞや?!と、まじめさながらに感化されている今日この頃。

ちいさく、動きの鈍い頭はとつとつと揺れ動き、油断をすると霞みゆくこの目をめがけて、彼女のことばたちは鋭く突き刺さります。 続きを読む

春と夢。

途切れ途切れ、夢をみた。
とても長いようにも感じるし、短くて切れ切れの断片のようでもある。

夢のなかではいつも、「わたし」という意識は存在するけれど、意識以外の実体を捉えることはむずかしい。

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現実でも付き合いのある馴染みの人たちの姿は、視覚的に捉えることができる。
それなのに、「わたし」の実体はそこには存在しない。

存在する意識と、実体のない「わたし」。
だから夢は、映画を見ているような、ものがたりの世界に入り込んでしまったような、
現実を離れた感覚でそこにある。

桜の花がもつ香りは、人を憂鬱なきもちにさせてしまうことがあるらしいと話に聞いた。 続きを読む