月別アーカイブ: 2015年9月

死と再生、終りと始まり。

満月のときは過ぎました。
わたしは「スーパームーン」という言い方が好きではありません。

だったら「超満月」でもいいのでは?・・・個人的には推奨したい。
そんなことを思いつつ、グレゴリオ暦の9月は今日で幕を閉じます。

和暦の今日は葉月の十八日。
愛用中の『和暦日々是好日』という手帳には明恵上人の「あかあかや月」の詩と、”白秋”についての記述があります。

ー白秋ー

陰陽五行では秋は白を司る。
白は「死と再生」を象徴し、生々流転、命の循環を伝える秋の色。
神前で着る麻衣、喪服もかつては白一色であった。
白は無色透明な色、または光そのものをさす。
すべての命は光から生まれ、光に還る。
色はその中に生まれる変化、喜怒哀楽の色。

ー「和暦日々是好日」より

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収穫のウタ〜山咲み〜

春に植えた、小さくてひょろひょろとしたみどり色のイネたちは、秋になり収穫の時を今か今かと待ちわびています。
見渡す限り黄金色にかがやくその圧倒的なまでの色づき加減に、どうしようもない喜びが湧き上がるばかり。

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人々は大地や山や川、風や自然のかみさまに祈りと心からの感謝を捧げ、収穫のときに入る。 続きを読む

森はすでに黒く、空はまだ青い。

マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の中で放たれるこの言葉に込められた暗示を、わたしはこれから先の人生のなかで、少しずつ紐解いていかなければならないような気がしています。

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「森はすでに黒く、空はまだ青い。」

全8冊からなる岩波文庫版を、読み終えるにはなかなか時間がかかりそうです。

このブログを始めて1年半が経ち、その間自分なりに興味関心があることを深めようと、手探りに人に会いに行き、話を聞いたり、本を読んだり、あちこちに足を運んでは、そこでの空気を直に「感じる」ということを率先して続けてきました。

その甲斐もあり、本来得意であった(むしろそれが唯一の武器であり弱点。鼻に付くもの。)自分にとっての「感受性・感性」というものを鍛えることは、少なからず強化されてきたのではないかと思っています。けれど、裏を返してしまうと、今までの行動は、目的を絞り込みとことんそれについて深めるというよりは、自分が一体”何を”求めているのかをひたすら闇雲に、漠然と”在る”だろう”何か”を探すために、手当たり次第に手足を伸ばし、視界を広げ続けた時間でもあったのだと思うようになりました。

そして実際のところ、そこで自分が「広がり」と感じているものは、あまりにも不安定で、漠然としていて、頼りなく「そう思う」「きっとそうだ」という程度にしか語ることのできない、ゆらゆらと揺らめくような心もとない、成分70%が思い込みの「広がり」と”思える”ものでしかないのでしょう。

ここから先、わたしは何を手掛かりに、どこに向かっていったらいいのか、この間に記録し続けたノートを読み返し、振り返ってみました。 続きを読む

感受性のさき。

鬼のように怒りに身を任せ、その体内を流れる水という水で、ひとの世界を覆い尽くした今回の台風。

まだまだ刻々と事態が変わっていく中で、私たちの目に映った4年半前の既視感。

そういえば去年のこの時期は、広島の土砂災害、夏には御岳山の噴火、木曽での土砂災害もあった。水という水の勢い、多すぎる水がもたらすのは恵ばかりではない。特に、土との付き合いを疎かにしてしまっている今のわたしたちには、こうしたことが起きるたびに痛感させられる。

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どうしたら、この猛々しく荒ぶる自然をなだめながら、上手にやっていけるんだろう。。

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道半ば、道の駅。

ここ最近、溢れる感情のようにして、勢いに任せてことばを紡ぐことが、極めてむづかしくなっています。

せっかく、直に多くの場所に足を運び、人と出会い、話を聞いて、次につなげていくための足跡を残してきているにもかかわらず、肝心なわたしの足元がふらふらと揺らいでいる場合じゃないでしょうに。。

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と思えば思うほど、静かにじーっと、奥の方に控えてしまう夜行性の動物のようになりすました、もうひとりのわたしの存在を、ここに向かうわたしは見つけます。

さてさて、どうしたものでしょう。
まだまだスランプにも満たない、けれど、なかなか厄介な側面に直面しています。 続きを読む

時と秋

時と秋はイコールで結ばれている。

秋といえば、時だし、時といえば、秋なのだそうな。

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こちら側やあちら側。

そこかしこでリリリリリリ、ジジジジジジジ、リンリンリンリンリン、チチチチチチチ・・・・・・・・・と織りなす虫虫の声は、

目にはさやかにみえねども・・・

どうしたってもうすでに、はっきりとした「秋」をおもわずにはいられない。 続きを読む

宍道湖のあお。〜プロローグ〜

旅はどこから始まるのでしょう?

考えたことが、あったようでなかったようで。

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今回、島根県出雲市から、大田市温泉津、松江市の手しごとを巡る旅(フィールドワーク)のプロローグは、後にも先にも、”宍道湖のあお。” でした。

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新幹線でも飛行機でもなく、窓の外を流れる景色に立ち止まり、寄り道をして。

これから出会う人や目にする出来事を予感させる、そうした導入効果としてのプロローグのあるなしは、旅の印象そのものに大きな影響を与えるでしょう。

 

今はまだ、上手な言葉が見当たりませんが、

宍道湖のあおは、わたしの記憶に確かに記録されています。

 

中條 美咲