月別アーカイブ: 2015年7月

踏み込み踏み込まれ、自分で育つ。

「育てる・育つ」ということについて考えてみたいと思います。
みなさんは誰かを育てたり、何かを育てたり、意識して「育てた」「育てられた」という経験はありますか?

そんなのあるに決まってきます。
わたしはこの世に産まれた瞬間、まだ瞼もしっかり開かない頃から、母という大きな存在・絶対的安心感という胸の中で、確かに大切に、見守られ、手を焼かれ、「大切、大切。」と思われながら、随分大きくなりました。そこには母だけでなく、ジョリジョリとした髭をこすりつけてくる父であり、祖母であり、祖父であり、学校の先生、習い事の先生、友達の両親という、小さな地域社会の様々な人の存在がありました。

多くの人々は、その感じ方に個人差はあれど、きっとそのように大切に見守られながら育ってきました。ある、一定の時期までは。

成長するにつれて、私たちは手をかけ大きなひさしとなり、傘となり、毛布のように包み込んでくれるあたたかいぬくもりを引き剥がし、外に出て行くことになりました。今までは育てられるばかりだったけれど、これからは自分で育っていかなくちゃならないからです。 続きを読む

朗読から動き出す ”ものがたり”

i love you  ~

という歌い出しで始まる、トウヤマタケオさんのピアノ伴奏曲に合わせて、その物語は確かに立ち上がり動き出した。

翻訳家・柴田元幸『MONKEY vol.6』刊行記念ツアー

パトリック・マグラア『オマリーとシュウォーツ』。

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柴田さんの朗読の息遣いは荒い。
流暢に文字を追って読んでいくというのではなく、物語の奥までぐーっと入り込み、そのものになって躍動し語り始める。猫背な容姿でひょろりと立ち上がり、鋭く何かを捉えている眼差しからは、恐ろしいような、不気味な空気すら感じられた。 続きを読む

感覚的で直感的。やさしい陰陽とこよみの話

風邪が治りかけるとき、黄色く固まったどろどろとしたものが、体の中からたくさん出てきたりして。今、体の中から出ようとしているどろどろしたものたちはなにかの死闘を終えた、戦いの痕跡なのか、半年前からたまり続けたいらないものの塊なのか、一体なんなんだろう。なんて、とりとめもなく考えた。

春の鼻水のように、流れっぱなしで終わりがないというのはとても苦痛で、夏。片っぽの鼻は完全に詰まって喉にも何ものかが潜伏していて、呼吸がうまくできないのもこれはこれで苦しい。

体の中で起きている出来事、声にはならないけれど、こんなにもアピールされてしまっては、労らなくちゃと思うばかり。。

ほんとうは先週末のこと、瀬戸内・四国を巡った足跡を記したいなぁと思いつつ、こんな風に体の中で起こっている出来事について書き始めてしまったので、昨日参加した、『暦の話』について書いていこうと思う。ここでの記し方は行ったり来たり。印象に残った言葉をとつとつと置いていく。

東京の世田谷区、閑静な住宅街(わたしにはとても縁がないところ)の一角に、Jikonkaさんというギャラリーがある。とてもすてきな場所で、わたしはこの場所に密かなシンパシーを感じている。 続きを読む