月別アーカイブ: 2014年11月

おいしいものが、たべたいな。

昨日の 帰り道、吐く息がほんのわずかに白くなりました。
10月も11月もいそいそと日付は変わっていき、もうすぐそこに12月が出番を控えて待機しています。

12月に突入したらさいご、あとは師走のごとくまっしぐら。

どうしてこうして、年末年始は毎年のように気持ちが追い立てられるのでしょうか。もしかしたら追い立てられる気分になることが師走の醍醐味かもしれません・・・。

 

ということで、おいしいものと、食べることについて。

この前書店で立ち読みした谷川俊太郎さんがお話をつけた『しんでくれた』という絵本。
そこに書かれた内容があんまりにも直球で、これを子どもたちが読むことを想像すると、なんだかとってもセンセーショナルでした。 続きを読む

彼女たちは思想を手にしようとしている

・・・かもしれないというお話。

最近新たに刊行されている雑誌のいくつかを眺めていて、先日読んだ加藤周一さんの本で書かれていた内容と相まって、そんな妄想がじわじわと広がり始めた。

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加藤周一さんの著書『文学とは何か』。

タイトル通りの” 文学 ”について。もう少し深く、その全体像に触れてみたいと思って本書を手に取ってみたのだけど、大いに甘かった。略して大甘。 続きを読む

これからの民藝。

秋ふゆ真っ盛り。関東周辺の紅葉もそろそろ色を深める頃でしょうか。

2日連続で鍋をしました。カレイと蛤をぐつぐつ・・・。餃子用に作って冷凍してあった肉団子も入れて。酒と醤油の下味で。白菜・椎茸・春菊・焼き豆腐。サツマイモなんかをいれてみたり。二日目のしめは「おじや。」
少量の味噌をといて粉チーズとごま油で少しこってり。鍋のさっぱりと、おじやのこってり。
さっぱりとこってりの絶妙なアンサンブル。

ところで「おじや。」っておもしろい響き。文字にしてみて気が付きました。

「おじや」と「おやじ」。同じ文字の組み合わせなのに、「おじや」の方がちょっとくすぐったい。

 

と、いうことで。
今日は雑誌『和樂 12月号』で特集されている「民藝のある暮らし」について。(紙面をはみ出んばかりの写真の迫力は見応え大です)
先日訪ねた「もやい工藝」や今まで断片的に訪れたり触れてきた ”民藝的なものたち” のことを一度きちんと捉えてみたいという思い付きから書いてみることにします。

〈参照〉
かまくらもやい。|紡ぎ、継ぐ
棚ぼたタイム〈 芦沢銈介美術館と登呂遺跡〉|紡ぎ、継ぐ
ものづくりの極意|紡ぎ、継ぐ

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かまくらもやい。

家のあかりを60ワットの透明はだか電球に変えました。
いろんなところに陰ができ、明るすぎる夜がちょっとばかり薄暗くあったかくなり、長い夜が楽しめそうな気持ちの今日この頃です。

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少し前にブルータスで松浦弥太郎さんが、山ぶどうのかごバックを紹介されていた。
そのかたちの美しさと素朴さに吸い込まれ、説明書をみてみると…〈もやい工藝〉の久野恵一さんに「これが本物です」。とそのかごを手渡されたエピソードが書かれていた。しかもそこにはちゃんと「僕からもらったと絶対に誰にも言わないように」という約束事が添えられている。

このチャーミングなやりとりも込みで、〈もやい工藝〉にびびびと興味の触覚がふれた。
調べてみるとこのお店、鎌倉にあるとのこと。

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女たちの。手のひらのみらい。

昔々、妊娠の可能性のない女性・嫁いで三年にして子なきは悪徳・不吉とされて村を追いやられ、とても嫌われたらしい。呼び方が地方によって、「石女 うまづめ」や「空女 からおんな」など様々あったようだが、江戸時代の儒教的な思想の発展が元になっているとかなんとか・・・。

図書館で読んだ『日本を知る事典』という本に載っていて、強烈な印象に残り、数ヶ月前に目にした内容だったものがつい最近ふっと表に浮上して、ここしばらくそんなことを考えている。

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今ではそのような表現・考え方は許されないとされているけれど。そういった考え方があったというのは、何かしらの意味もあるのだろう。 続きを読む

「僕に死ぬ権利をください」尊厳ある死のゆくえ。

つい最近、世界中で “死の選択 ” について様々な議論が巻き起こった。

高校生2年生の時に、全国読書体験記コンクールで『死の選択』という作文を書き、ひとつの賞を頂いた。

賞を頂いたことで、周りからの(一時的)評価の変化などもあり、嬉しい反面複雑に考えさせられたことをよく覚えている。

今考えるとこれではまだ「読書体験記」とは言えないけれど。一冊の本で感じた生きる事と死ぬ事について、当時17歳の自分が書いた作文をここに載せてみようと思う。
(原稿用紙5枚分あり、粗削りでとても長く感じるでしょう…) 続きを読む

民俗学者と写真。

次回といいながら、一回間を挟んでしまいました。

前々回の「僕らの未開〜 忘れられたことを知ること…|紡ぎ、継ぐ」の続きを書こうと思います。

そもそも宮本常一ってどんなひと?

宮本常一さんは1907年山口県大島郡(現在の周防大島)生まれ。
生涯にわたって日本全国をフィールドワークし続け、膨大な記録を残した。
まさに「あるくみるきく」を身体で実践したひと。
詳しくはWiki先生を参照に…「宮本 常一


先祖と日本人 

このイベントを6次元という場所でセッティングをされたのは、僕らの未開の熊谷充紘さん。
はじめに畑中章宏さんに声がかかったらしい。 続きを読む

毎日新聞 村上春樹氏インタビューを読んで

3日付けの新聞で、村上春樹さんの記事が大きく取り上げられていた。
毎日新聞では5年ぶりの単独インタビュー記事ということだ。

村上春樹さん:楽観を目指す姿勢「若者に伝えたい」ー毎日新聞

特集記事の一面「孤絶」超え 理想主義へ・欧米、アジアで違う評価・日本の問題は責任回避という見出しの内容は、購読者か有料会員登録をしなければ読む事ができない。
こんな風にしてひとつの記事の内容を全文引用するのはあまり良くない印象だと思う。

けれど、自分だけで読み流してしまうにはもったいないと思った。

 

ここで話されることは誰もが触れてこなかった深いポイントをついているのだと思う。曖昧で微妙な衣をまとっている。けれどとても大事。
このような機会にそれぞれが。こういったことに向き合えたらいいのかなと思い、読んですぐさま、この記事について書こうと決めた。 続きを読む

僕らの未開 〜忘れられたことを知ること…

先日、4度目の6次元で『僕らの未開』というイベントに参加した。

HPにはイベントの意図についてこのように書かれていた。

” 移動中、ふと人類のことを考えてみた。
人類はアフリカで誕生したと習った。いま僕らは日本に住んでいる。
ということは、僕らの祖先たちは、アフリカから歩いて、歩いて、移動して、移動して、
日本まで辿り着いたことになる。
その間には、砂漠があったりジャングルがあったり山があったり海があったり、暑さがあり、寒さがあったことだろう。
人類には、そんなあらゆる環境を生き延びてきた、“野生”が備わっていたんだと気づく。
野生とはつまり生命力で、その原動力は、“ここではないどこかへ”という好奇心だったんだと気づく。

いまや家の中にいるだけで世界中のことが調べられる。南極やアマゾンの奥地のことだって情報として知っている。でも、知ってはいるけど、実感はない。
知っている世界は限りなく拡がったはずなのに、どこか閉塞感を感じるのは、
“ここではないどこかへ”という野生がうずいているからではないか。
現状を打破したい。でもすぐに冒険へ出かけることもできない。
そんな時、“ここではないどこかへ”という矛先を、よく知っているはずの日本や、自分の中、僕ら自身がまだ知ることのない、僕らの未開へむけてみよう。

イメージの中では、あらゆる現状から飛び立つことができる。部屋の中にいて、ジャングルの奥深くにわけいることができる。
ストレスがたまっていたり、未知への好奇心を失いかけたりしたら、
僕らの未開を切り開く。
それは僕らの野生を呼び覚まし、未来への原動力になる。 ”

企画:熊谷充紘(ignition gallery

この文章を読んで、今自分が感じていること・切り開いて自分の足で踏み込んでいきたい方向とまっすぐにつながっているような気がした。 続きを読む