見終わってすぐに、ことばにする。していいものか。
わからない。
・・・沈黙。
言葉を頼りにせずに、つたわる方法はないかと考える。別に伝わらなくてもいいのんか。きもちをほどいて理路整然とせずに、なにかを紡ぎたいと思う。(例えば 記憶 や 記録 。)
見終わってすぐに、ことばにする。していいものか。
わからない。
・・・沈黙。
言葉を頼りにせずに、つたわる方法はないかと考える。別に伝わらなくてもいいのんか。きもちをほどいて理路整然とせずに、なにかを紡ぎたいと思う。(例えば 記憶 や 記録 。)
代官山蔦屋で開催中の鈴木書店について書こうと思っていたところ、隠居系男子の鳥井さんがそれについて記事を書かれていた。せっかくなので私も鳥井さんに便乗して、読みたいと思った本を合わせて書いてみようと思う。
参照:代官山蔦屋書店「鈴木書店 鈴木敏夫を作った100冊」で僕が読むと決意した本5冊 隠居系男子
実は、この企画の延長で18日に代官山蔦屋で実現した鈴木さんのトークイベントにも運良く参加する事ができた。そんなことも絡めて書ければいいなーと思いつつ…
画像引用元:DAIKANYAMA T-SITE 続きを読む
久しぶりにホットコーヒーを挽れた。
今週の真昼は、夏の意地を見せつけられるような高温と、全身に纏わりつくほどにじめじめとした湿度の高い日が関東では続いた。
ミーンミーンと鳴く蝉の勢力は縮小され、代わりにツクツクボーシと鳴いたり、ギギギギギィーと鳴いたりする蝉がメジャーに躍り出た。蝉以外にも、夜になると鈴虫のような(多分鈴虫ではない)リーリーリーリーと涼しい音色の聲も聴こえてくるので、いよいよ夏もあと数える程で過ぎてゆく(何処へいく?)んだなーと感じている。 続きを読む
また大きな大きな自然災害が[広島県]で発生した。
”また” というのはとても失礼で無神経な気もする。けれどこれだけ頻発する自然災害を思うと ”また” という表現の方が素直な感覚のように思う。
「異常気象」「ゲリラ豪雨」「局地的」「観測史上最大」「未曾有」「想定外」・・・・・
東日本大震災を皮切りに、それ以前からも毎年耳にするこのような言葉たち。
九州・中国地方ではあれ程の大雨が続いていたのに、関東は真夏のように晴れ渡り、蝉が鳴き、ジリジリとした湿り気のある暑さが続いている。
「同じ空の下」とは耳にするけれど、ほんとうに同じ空の下の出来事なんだと思うのには随分感覚を研ぎ澄まさなければならない。。
「同じ空の下」であり「地続き」の地で起きてしまった自然災害を思う。
始まった頃にはまだまだ人ごとで、あっという間に追い越されて追いつけなくなっている。
時間を歪めてしまう程、独自のパワーを持っている夏。
追いつけ追い越せで毎回追い越されてしまう夏。
25年目の夏もそろそろ終わろうとしている。
この夏休みは、故郷で過ごした。生まれてから18年間を過ごした場所。知っているようで、殆ど見えていなかったことを、最近帰るたびにありありと感じたり、する。 続きを読む
終戦記念日の今日に。わたしの古里で、先日の続きを書こうと思う。
参照:まだ、戦争には間に合いますかー(前編)
無事に駐車を終えて…
今回は花火をみることが目的だったのでせっかく新潟まで来たけれど、他を観光することなく昼過ぎから炎天下の中河原の行列に並んだ。
こんな風に花火大会で昼間から並ぶのは初めてのこと。人の多さも含め暑さに朦朧としつつ開場を待った。 続きを読む
この夏、わたしの目の前で大きな大きな光と音が花、開いた。
目の前の景色、全てを埋め尽くすおびただしい量の花火。あまりにも美しく、そこに込められた底知れぬ想いの強さに圧倒されて、後から後から止めどなく涙が溢れた。
わたしにとって「長岡花火」との出会いは、思いがけない2本の「映画」との出会い。でもあり、彼らの中で消えることのない「戦争」との出会い・・・となった。
どうして長岡花火に行きたいと思ったのか、はっきりとは覚えていない。
どこかで聞いたのか、何かに反応したのか、長岡花火は別格の花火だと見たこともないのに、勝手に思い込んでいた。いつか見てみたいと思っていた。 続きを読む
今週に入り、風の強い日が続いている。
わたしの家では原則エアコンは使わない。夏も、冬も。
これだけ暑い、猛暑だと言われる最中でも、風が入れば意外とやっていける。
海が近い土地柄と、ぽこぽこと小高い山がたくさんある立地が関係しているのだと思う。たぶん。 続きを読む
書きたいことと、実際に書くことの均衡がとれない。
情報と同じように感情も。次から次へと湧き出しては遠くへ追いやられて消えてゆく。
消えぬようにと心に留めたりノートに書き残したりしたとしても、やっぱり何事にも ”旬” はある。
”旬” を過ぎてしまえばそのままのかたちで表に出すことは恥ずかしい。
それでもどうしても表に出したいというのであればそういった感情が完全に静まって一度深く水の底まで沈殿させてしまうしかないのだろう。
そうしていつの日か本人も忘れた頃にあちら側から勝手に、自ずと立ち上がってくる時を待つともなく待ち続けるということか。
待ち続けたところで本人や周りが期待するようなそんな” 何かしら ”が本当に立ち上がってくるかどうかすらわからない。
ある種の世界ではそんな風に予測も確証もないまっさらな状態で、システマチックに支えられた世の中に立ち向かって、背を合わせたように、生きている人も少なくはないのかもしれない…。 続きを読む
まとめて総ざらいの気分だったので、宮崎駿関連のまだ読んでいない本を何冊かポチってしまった。
ポチ。ポチって。便利過ぎて気をつけねばと思う…。
そしてジブリの教科書1 風の谷のナウシカを読んだ。
風の谷のナウシカ。
全てはここから始まったような、宮崎ワールドの原点みたいな作品。 続きを読む