カテゴリー別アーカイブ: 芸術や音楽

冒険の始めかた、あるいは思考する場所

世の中には知れば知るほど、興味をそそられる人や、関心を掻き立てられる人、ぐーっと掘り下げて対峙してみたくなる相手はいるもので、ハンナ・アーレントは、そんな魅力と謎に満ちた女性のひとり。

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願わくば、徐々に徐々に近づいていき、どこまでも透明なまなざしとして、彼女の眼に映る景色や頭の中で組み立てられる様々な断片に触れてみたかった。そこではどんな日常が、思考が、なされていたのか、どういう現実と、向き合い続けた人生だったのだろうかと。

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食べるの”闘い”と、生きるという仕方。

降って降って降り続いた雨が上がると、
忘れたつもりで箪笥の奥にしまいこんだ残りの暑さを思い出す。

あぁ、まだ暑くなるのね。つい先日のはずの夏が、やけになつかしく感じます。

気分はすっかり秋なので、おすそ分けしてもらった栗を剥いて栗ごはんをつくりました。

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実家の畑でとれた栗。 続きを読む

”もう一度結びつける”場所

クートラスは”生”が好きだった。どんな醜悪な姿でも生きているものの姿が好きだった。

クートラスは愛情のある視線に見守られていることがいつも必要だった。

クートラスの描く天使は可愛い顔をしてハートを差し出しているエロスである。
優しくて子供のように純朴な、ちょっといたずらっ子っぽい表情で飛んでくる。
それで、油断していると、一瞬のうちに、とてつもなく大きな力に揺るがされ、夜よりも深くて暗いものが身体を包んでしまう。そんな神話の入り口みたいな接吻というのがあるものだ。……

『ロベール・クートラスの思い出』より

静岡県長泉町、ベルナール・ビュフェ美術館にて会期中の企画展、
ロベール・クートラス 〜僕は小さな黄金の手を探す

「僕のご先祖さま」の一枚と出会い、直感的に惹かれた相手。

出会って、対面し、彼と晩年を共にした岸さんの著書を読み、直感は計り知れない共感となりました。

彼の”生”へのこだわり。愛を求めて与えて、使い果たしていくような繊細さ。

残されたカルトやご先祖さまの肖像のなか、クートラスはいつまでも生き続けることができる”永遠性”の居場所を生み出せたのかもしれません。

こんなにも生きることにいのちを使えた彼が、たまらなくいとおしい。

    

 

書きかけの記録や記憶を、宙にぶら下げてどろん。

あれもこれもしたいことが山済み。

あれもこれも追いつけなくて途方にくれてもしかたがないので

諦めて、宙ぶらりんにぶら下がったりどろんする。

焦りは禁物、世は情け。

 

分厚い本に囲まれて。

数千年かけて蓄積されていく蔵書はいまも日を追って増え続け、

これ以上増やしてどうするの?なんて立ち止まったらおかしな人で、

みんな必死で増やして進んで、みじかないのちをくりかえす。

ここやあそこに記された手触りのないことばたちはどこに保管されどこを漂う?

 

20世紀の百年は

人間が人間を超克しつづける時代だったかもしれないけれど、

ここへきて人間のなすすべはなく

自然と切り離し、強固に作り上げられたジャングルのなか

揺れ動く大地を鎮めることもできずに祈り方すら忘れてしまった

 

意味の追求も虚しくぶら下がったままかもしれない

意味をさがすのはもうやめたほうがいい

 

生かされているものが生かされている間にできることは限られている

誰かのせいも、誰かの真似も、誰かの目線もひゅーんと飛び越えて、

わたしのいのちに責任をもって、いまをいきる。

 

そしていまは進み続ける。

 

”彼は山頂にあって
「最高の山はどこから来たのか」とたずね、
「それが海から生まれた」ことを、岩壁に刻まれた証拠で確かめる。
「いとも高いものはいとも深いものが高まって成ったものだ」。”

なのだそう。
ニーチェ…
ツァラトゥストラ…

 

日本という島、は海から生まれた。

深い海の底から。

いとも高い山々はいとも深い海の底から海面を抜け、空をめざした。

ここはそういう島。

足元には眠りからさめた深い海の山々がひろがっている。

なみだを拭いて、生きなきゃいけない。

 

 

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労働する動物。社会化していく「わたし」を見据えて…

「もはや、社会とわたしは乖離している・・・?(クエスチョン・マーク)」。

人間は生まれた時には限りなく動物に近い存在ですが、時間をかけて教育を施され、社会に適応する「大人」へと、成長していく。

文明を築き上げ、それを維持・継続していく中で、「人間」としての豊かさを追求していくために、「社会化」は欠かせないひとつのキーワードなのだといえそうです。

ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読みながら、人間とは、労働とは、活動とは、仕事とはなんぞや?!と、まじめさながらに感化されている今日この頃。

ちいさく、動きの鈍い頭はとつとつと揺れ動き、油断をすると霞みゆくこの目をめがけて、彼女のことばたちは鋭く突き刺さります。 続きを読む

神々とにんげんをつなぐ花

”たとえ明日世界が滅びようと私は今日林檎の木を植える”

ーマルティン・ルター

2013年の9月に出版された、藤原新也さんの『たとえ明日世界が滅びようとも』という本の中で、その言葉を知った。この本が出版された当時、福島第一原発からわずか20キロ圏内の福島県沿岸部の町へと移り住み、汚染された土壌に咲く花を生け続けたひとりの花人がいた。

神々と動植物、にんげんと。
それぞれの関係性や、あわいをつなぐ存在について。
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とびらの前で。哲学入門以前

正月明けのぼやけた頭を、がつんとやられる一冊に出会いました。

今はなき哲学者、川原栄峰さんの著作『哲学入門以前』というものです。
27歳になりたてのわたし自身にむけて、お祝いと激励の気持ちを込めて引用してみます。
ちなみにこの本は、昭和42年11月に発行されたもののようです。

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「見る」ことで遠ざかるもの。

「わたしは見た。」「それを見た。」

「見る」という行為それ自体は、どこまでも自由で、どの程度、どんな見方・受け止め方をしたとしても、誰に文句を言われる筋はないものだと思う。

自分が「見た」のであれば、見たことに変わりはないし、そこから何を感じたり、どんな印象を受け取ってももちろんいい。それこそ「見る」をはじめとした五感はどこまでも開かれたものであってほしいと思う。

けれど同時に、「見た」といってすぐに、一件落着したくないような気持ちになった。

目の前に一枚の絵画がある。

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私たちは、いま目の前にあるこの絵を、どれだけ「見る」ことができているのだろうと、混み合った展覧会場の列に並びながらぼんやり考えた。 続きを読む

自分の感受性くらい…

茨城のり子の有名な詩の一片は、タイトルの通り。

まん丸に追いかけてくるトンコロピーなお月さまや、今にも真っ赤に染まって溶けてしまいそうな夏の日の夕焼け、むせるように肌にまとわりつく湿気を含んだ空気とか、足元に痒みと共に記された幾つかの赤い斑点。

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同じ木は木でも、色も違えば質感も違い、成長の速度、風や光の好み、わしゃわしゃだったりすっきりだったりしゃきーんだったり・・・

そうしたあらゆる自然の要素に、背中を後押しされるように、づんづん・ずんずん。 続きを読む

彼女のまなざしが向かう先。

いよいよ今週末(あと2日!)で会期が終了する「ヘレン・シャルフベックー魂のまなざし」展について記しておこうと思う。

テーブルの上には、展覧会で思わず連れ帰った図録。シャルフベックのまなざしが、じーっとじーっと。こちらを見透かして、どこか遠くへと、その思いを投げ打っている。

ほんのわずか、顎先をキュッと尖らせて・・・

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ことばと白玉と、心地のよい「あお」

沈んだ白玉が浮かび上がるのをすくい上げるように
そこに現れるのは、できたてほやほやの真っ白な「詩」であるような。

浮かんでくるのを心待ちにするのでもなく、
ときおり「ことば」は自らぽこぽこと浮かび上がる。

浮かび上がった「ことば」のひとつひとつを、
丁寧にすくい上げたいという気持ちはゆっくり確実に、育ちつつある。

いつかの「ことば」は
考えて発されるものではなく、あちらからぽこぽこと浮かび上がってくるものだった。

そういうことばは数少なくても、
初めてピアノの鍵盤を指で叩いた子どものように、
変幻自在に躍りだす。

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「聴く」ことの力から生じたうねり。

鷲田清一さんの著書、『「聴く」ことの力 ー臨床哲学試論 』を読んだ。

内容についてはこの後、” なが・なが ”と続いていくとして、本書のなかで音楽のように、どこまででも広がっていくようで、ただそこにとどまり続けているだけのようにも感じられる写真家、植田正治さんの重低的な伴奏写真があることの心地よさ。

なくてもいいけど、あったほうがいいものは、本当に多い。

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モノローグの中で鷲田さんは「哲学はこれまでしゃべりすぎてきた……。」と書かれている。そして、「アカデミックな哲学というものに、漠然と感じてきた ” ひっかかり ” である。」と続く。

まことのことばを知るためにこそ、わたしたちは語ること以上に、聴くことを学ばねばならないということだろうか。くりかえして言えば、わたしがここで考えてみたいとおもうのは、この〈聴く〉ということの意味と力についてなのである。

このようにして、〈聴く〉とはどういうことか、「語る」でも「分析」するのではなく、「聴く」ことをするような哲学のあり方について考えてみたいというところを出発点に、じわじわと話は深まっていく。
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