カテゴリー別アーカイブ: 自然について

時と秋

時と秋はイコールで結ばれている。

秋といえば、時だし、時といえば、秋なのだそうな。

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こちら側やあちら側。

そこかしこでリリリリリリ、ジジジジジジジ、リンリンリンリンリン、チチチチチチチ・・・・・・・・・と織りなす虫虫の声は、

目にはさやかにみえねども・・・

どうしたってもうすでに、はっきりとした「秋」をおもわずにはいられない。 続きを読む

物語というのは、往々にして。

久しぶりに自宅の机に座り、ほっと息をつく瞬間。
帰ってきたなぁ〜。という、なんとなくしみじみとした感を覚えながら、それでもまだ後の祭りにしばらくは追われそうです。

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現実的にも観念的にも、「も〜うお腹いっぱい!」
バクバク食べて、ゴクゴク飲み込んで、むしゃむしゃ咀嚼する。
消化してる暇もなかったので、内臓はだいぶお疲れ気味。。

夏はたくさんの野菜が採れる。夏はたくさんの虫が蠢く。有り余って、おいしいところだけつまみ食いしても、翌朝の畑には、たわわの夏野菜が収穫のときを待ち望んでる。 続きを読む

昭和村スタンダードを探る。

重たい瞼をこすりながら、現地リポート!・・・

ではありませんけれど。。
あまりにもたくさんの洗礼を浴びた今、ことばに残しておけること(が少しでもあるとしたならば)をさらりと、一旦頭を整理するように、走り書き的に残しておこうかなと思います。

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わたしは今、福島県奥会津地方に位置する昭和村という、小さなようで以外と大きな、由緒正しき(それこそ使い古されたことばのひとつ)” 原風景 ”が今も生き生きと、人々の暮らしと調和した村を訪れています。 続きを読む

コツとコツ(責任とか、継続とか。)

責任とか、継続ということが久しく苦手だった。
「だった。」のではなく、今も苦手「だ。」

 

責任とか継続は、続いていくこと、繋げていくこと、積み重ねていくことの重なり合いで成り立っている。
成り立っているというよりむしろ、「継続」していく先に、自然と伴う「責任」があるのかもしれない。 続きを読む

山門をくぐり耳にした「かなしきのうた」

「かなしきのうた」阪村真民

たたけたたけ
思う存分たたけ
おれは黙って
たたかれる
たたかれるだけ
たたかれる

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早朝の山門をくぐり抜け、鎌倉円覚寺の夏期講座で和尚さんから耳にした詩の冒頭。
「かなしき」とは、鍛冶屋の鉄砧(かなしき)・鉄床のことを歌っているそうで、和尚さんはこの詩になぞらえ、「たたかれてたたかれて揺らがないものができる。そしりとほまれの間で揺らぐことがない(精神)が生まれる」と、無関門「離却語言」についてお話をしてくださいました。

今期で80回目の開催となる円覚寺の夏期講座、4 日目に集まった人々はおおよそ千人。
お堂から溢れた人は廊下や下駄箱、縁側や庭先に溢れ返り、みな熱心に姿は見えずともマイク越しに聞こえてくる講師陣のお話しに耳を傾けます。
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感覚的で直感的。やさしい陰陽とこよみの話

風邪が治りかけるとき、黄色く固まったどろどろとしたものが、体の中からたくさん出てきたりして。今、体の中から出ようとしているどろどろしたものたちはなにかの死闘を終えた、戦いの痕跡なのか、半年前からたまり続けたいらないものの塊なのか、一体なんなんだろう。なんて、とりとめもなく考えた。

春の鼻水のように、流れっぱなしで終わりがないというのはとても苦痛で、夏。片っぽの鼻は完全に詰まって喉にも何ものかが潜伏していて、呼吸がうまくできないのもこれはこれで苦しい。

体の中で起きている出来事、声にはならないけれど、こんなにもアピールされてしまっては、労らなくちゃと思うばかり。。

ほんとうは先週末のこと、瀬戸内・四国を巡った足跡を記したいなぁと思いつつ、こんな風に体の中で起こっている出来事について書き始めてしまったので、昨日参加した、『暦の話』について書いていこうと思う。ここでの記し方は行ったり来たり。印象に残った言葉をとつとつと置いていく。

東京の世田谷区、閑静な住宅街(わたしにはとても縁がないところ)の一角に、Jikonkaさんというギャラリーがある。とてもすてきな場所で、わたしはこの場所に密かなシンパシーを感じている。 続きを読む

時計の針、月の満ち欠け、初めての一人旅。

すっかり日が伸びて19時というのにまだまだ明るい。
ついつい一日の時間が延びているような錯覚に陥ります。

ほんとうは同じ24時間。
でも少しずつ、ほんとうはずれていて、4年に一度の閏年という調整日があったりなんかして。
月の満ち欠けや星の動きに頼らず時計の針、液晶の画面ばかりに頼るようになってしまうと、自らが持ち合わせている体内時計のあてにならないことすさまじく。

時計の針を持たずとも、年間のこの時期、このタイミングで、お互いに示し合うわけでもなく、活動したり、移動したり、産卵したり、している生き物たちは時間の流れをどのように感じて行動しているのかなぁ。と不思議でなりません。

 

わたしは特に自分のなかのリズムに鈍感な人間なので、より一層。
文明から放り出されたときに、生物としての危うさをひし・ひしと、感じたりなんかして。

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夏の予感と、つぶつぶ暗いクラムボン。

東京に出てきたばかりで、あまりにも不安げに頼りない日々を過ごしてきたことを思い返しながらも、この季節になると必ず、振り返らずにはいられない曲がある。

まだまだ涼しい夜風には少しずつ湿気の気配が高まり、これからさらに湿度が高まり、あのうだるような夏が来ることを思うと、待ち遠しいような、少しこわいような、なんとも浮ついた心持ちになる。 続きを読む

流動し、変動しつづけるものたち

中沢新一さんの著書、『純粋な自然の贈与』の中でインディアンの思考法について記された内容が印象的だった。

”インディアンの思考法では、贈り物は動いていかなければならないのである。贈り物といっしょに「贈与の霊」が、ほかの人に手渡された。そうしたら、この「贈与の霊」を、別の形をした贈り物にそえて、お返ししたり、別の人たちに手渡したりして、霊を動かさなければならないのである。「贈与の霊」が動き、流れていくとき、世界は物質的にも豊かだし、人々の心は生き生きとしてくる。だから贈り物は自分のものにしてはならず、たえず動いていくものでなければならなのである。(中略)
ところが、ピューリタンはそれを暖炉の上に飾ったり、博物館に収めたり、貯めたりする。(中略)インディアンにとって、それはまことに不吉の前兆だった。大地と人のあいだを動き、循環していたなにものかが、とどこおり、動きをとめていく。そのかわり、そこには個人的な蓄積が、将来の増殖を生むという、別種のデーモニックな力が、徘徊していくことになる。それは人々の物質的な暮らしは豊かにするだろうが、魂を豊かにすることは、けっしてないだろう。なぜなら人間の魂の幸福は、つねに大地を循環する「贈与の霊」とともにあるものなのだから。”

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平凡への帰りみち。

有名になってからでは生まれ得ないものがここにはいくつも存在していて、

誰かの目に気づかないことでそこからは絶えず新たに生み出されていて、

時折よいものが生まれた時があったならそれがただただ嬉しいばかり。

隣には一緒に喜べる人がひとり、いればいい。

それ以上でも以下でもなくて。

同じように繰り返す。食べて・寝て・生みだす日々を。

 

民藝のインティマシーを途中まで読んでいて、”「平凡」の難しさ ”という節にぶつかった。

柳宗悦さんが、国宝茶碗『喜左衛門井戸』を見たときの感嘆入り混じった喜びの表現のなか多用される「平凡」という言葉がキーワードになってくる。 続きを読む

久々にゆっくり歩いてみたのだった。

ここは風が良い土地だ。

土地にはそれぞれ個性がある。

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ゆっくりゆっくり歩いていると、普段目に入らないものに出会う楽しみがある。

ふらふらと適当に舞っているような一匹の蝶が電線に止まるとは驚きだ!

・・・と思ったら単なるフェイントだったり、 続きを読む

木原佐知子さん「石と人」展

以前、PARISmagの取材でお話を伺った、sunshine to you ! 木原さんの個展に行ってきた。
参照:海も山も時間もある。神奈川の葉山で1年暮らしてみました|PARIS mag

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                   引用:木原さんHPより

 

横浜大和町にある、green pointさんで5月6日まで開催中とのことで、自宅から近かったこともあり、図々しくも意気揚々と訪ねて行った。

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生まれたてのうごめき

連休を目前に、世の中は少しばかりそわそわムードになっていますでしょうか。

せつせつ。そわそわ。。。

大型連休。南か北か、ちょっとしたお出かけも、計画なしには一苦労の民族大移動行事、ですね。

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長く続いた雨もひと段落したようで、ようやく、安心して軽やかな素材の洋服を身に纏い、外にお出かけ出来そうな予感に、むくむく・わくわく・と、心が弾んでいます。 続きを読む